悪魔の尻尾

50代から60代へ~まだあきらめない

あの日、松の廊下で  白蔵盈太

Amazonより

「討ち入りたくなかった内蔵助」を読んだ後、この本を読まねばならないと思ってすぐに読み始めました。
時間的な順序から言うと、「松の廊下事件」が先にあります。
しかし、この本を先に読んでしまうと、「討ち入りたくなかった内蔵助」がちょっと違った見方をして読んだのかもしれません。

この本の目次

一、元禄十四年 三月二十八日(事件の十四日後)

二、元禄十三年 十二月十五日(事件の三ヶ月前)

三、元禄十三年 十二月十六日(事件の三ヶ月前)

四、元禄十三年 十二月十七日(事件の三ヶ月前)

五、元禄十三年 十二月十八日(事件の三ヶ月前)

六、元禄十三年 十二月二十五日(事件の二ヶ月半前)

七、元禄十四年 一月十日 その1(事件の一ヶ月前)

八、元禄十四年 一月十日 その2(事件の一ヶ月前)

九、元禄十四年 一月十六日(事件の一ヶ月前)

十、元禄十四年 一月十六日(事件の一ヶ月前)

十一、元禄十四年 一月十八日(事件の一ヶ月前)

十二、元禄十四年 一月二十日(事件の一ヶ月半前)

十三、元禄十四年 二月一日(事件の一ヶ月半前)

十四、元禄十四年 二月十一日(事件の一ヶ月前)

十五、元禄十四年 二月十六日(事件の一ヶ月前)

十六、元禄十四年 二月二十一日(事件まであと二十二日)

十七、元禄十四年 三月一日(事件まであと十四日)

十八、元禄十四年 三月九日(事件まであと五日)

十九、元禄十四年 三月十一日(事件まであと三日)

二十、元禄十四年 三月十三日(事件まであと一日)

二十一、元禄十四年 三月十四日 その1(事件当日 朝)

二十二、元禄十四年 三月十四日 その2(事件の瞬間)

二十三、元禄十五年 十二月十五日(事件の一年と九ヶ月後)

登場人物

梶川与惣兵衛
この物語の主人公。
下級旗本という微妙な立場ながら、有能な人物。
55歳と大奥の仕事をする役人の中では最年長であり、勅使饗応の仕事でも様々な事がありました。
遥かに格上な高家肝煎吉良上野介の仕事ぶりに深い尊敬の念を抱いていると同時に、浅野内匠頭の下のものにも分け隔てなく気さくに声をかける人柄にも敬愛の気持ちを強く持っています。

 

浅野内匠頭
赤穂藩五万石の藩主。
あえて家臣の前ではお国言葉である関西弁を話す一国一城の主。
上下の身分を分け隔てなく接する人物で、家中の家来たちには絶大な信頼を得ている名君です。
若い頃、一度こういったお役目を果たしており、今回は二度目ということになります。
その時は先代の家老大石頼母助(内蔵助の身内)がいて、17歳であった若い藩主を支え、つつがなく終えることが出来ました。
しかし、今回、勅使饗応の役としていちばん重要な立場にあったのですが、疲労の限界で判断能力を失ったのか、触れてはいけないスイッチが入ってしまったかのように取り返しのつかない行動を取ってしまいます。

吉良上野介
吉良義央と言う名前ですが、官名である上野介のほうが圧倒的に知られて椅子。
高家肝煎と言う幕府の要職にあり、若い頃からその職務に誇りを持っています。
厳格な性格ながら、知識経験ともに優れている人物で幕府からの信頼も厚い実力者です。
勅使奉答の仕事は吉良上野介がいなければ執り行えないという状況です。
彼が江戸を離れず、直接浅野内匠頭を指導していたら、全くこのような問題は起きなかったのですが、幕府の密命を帯びて京の都に赴き、果たすべき仕事があったのです。

 

畠山民部
畠山民部大輔基玄。
現職の高家肝煎で、最年長。
元を正せば、将軍の小姓上がりの人物ですが、クビになった人物です。
高家肝煎の親を持っていたので、そちらに鞍替えしたという人物で、吉良上野介と比べると経験も浅く、実務能力もありません。
にも関わらず、自らの家柄をちらつかせる悪代官キャラです。



友近江守
大友義孝と言う人物で現職の高家肝煎
彼も高齢で、ただただ流れに任せて頷くだけの無能な人間の一人です。
ただ、こちらは人柄が温厚で、あまり知恵の回らない人物であるため、切れる浅野内匠頭に「保険」として利用されます。


 

伊達左京亮宗春
伊予吉田藩3万石の大名。
今回、初めて饗応役を仰せつかった若い藩主。
まだ19歳で、粗相なくこの勤めを果たそうとしています。
3万石だが、バックには伊達本家がいます。
また勅使饗応役ではなく、院使饗応役です。
彼を指導するのは、有能な吉良上野介の部下です。

 

安井彦右衛門
赤穂藩江戸詰家老。
ボンボン気質で、人当たりは良いものの、優柔不断。
いわば、高家肝煎の役に立たない二人と似たような気質を持っている人物なのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

感想

あの時、浅野内匠頭様は、本当は関西弁でこう言ったのだ。
「おどれぁ何しとんじゃ、このボケカスがぁ!」
という書き出しで始まる小説です。
この始まりからして、格調高い歴史小説ではない、と思ってしまいます。
これは決して作者の白蔵盈太さんを蔑んでいるわけではなく、むしろ娯楽小説として最大限の賛辞でもあります。
面白かったですよ。
この本と「討ち入りしたくなかった内蔵助」ともにとても面白かったです。

 

tails-of-devil.hatenablog.com

 


忠臣蔵なんて~と言う気持ちしかなく、これまでそういったものを読んできませんでしたし、年末に忠臣蔵のテレビの放送があっても、なんかやっているなあ、程度にしか見ていませんでしたが、この2つを読んで興味を持ってしまいましたね。


当時の人間の考え方というもの、特に武士という非生産階級の人々の倫理というものは想像するしかないですが、人間の本質が数百年で変わるはずもなく、本当は死にたくはないけど、大勢に逆らえず、気づいたら討ち入りのボスとなって討ち入りをやってしまった~というのが「討ち入りしたくなかった内蔵助」の話です。
今回の内容は、江戸城で刃傷沙汰を起こしたら、切腹どころか、打首、そして藩は取り潰しになるということは十分わかっていたはずの浅野内匠頭が怒りを抑えきれずに起こした事件の真相を描いていきます。
色々な描き方があって、浅野内匠頭は赤穂の田舎侍で思慮にかける人物だったというものです。
そして生まれながらの殿様であり、ボンボン育ちの人物で切れやすい人物だったとか、精神的に病んでいただの色々言われていますが、この本ではとても魅力的な人物で、まさに名君と言って差し支えない人物だったと思います。
頭脳も非常に切れますし、懐も深いのです。
下のものにはものすごく優しい人物で、立場を利用して下のものを吊るし上げる人物には身を挺して戦う姿勢を見せる俠気に満ちた人物です。
描き方を変えれば、これほど魅力のあるお殿様もいないのではないでしょうか。
だからこそ、赤穂藩の侍たちは殿様の無念を晴らそうと時期を見計らって吉良邸へ討ち入りを決行したんだと説明が付きます。
一方、切りつけられた被害者の吉良上野介も悪代官のようなイメージがついてしまって気の毒ですが、この本の中でも描かれていますように清廉潔白な人物なのでしょう。
近松門左衛門の「仮名手本忠臣蔵」という作品が庶民の間で大ヒットし、その物語をベースに散々流布されたので、吉良上野介は悪者というイメージにされてしまったという二重の意味でも被害者なのでしょう。

ただ、この物語の主人公は、浅野内匠頭でも、吉良上野介でもなく、梶川与惣兵衛という下級の旗本です。
身分も石高も高家肝煎吉良上野介とは格が違います。
雲の上の人物なのです。
そして一国一城の主の浅野内匠頭は5万石の藩主であり、旗本といえどもこれまた自分とは格が違う人物であることを自覚しています。
梶川与惣兵衛は、この仕事を粛々とこなすいわばサラリーマンです。
上司の顔色を見ながら、その仕事の補佐をし、かつ当番としてやってきた地方にいる支社の社長や重役が仕事がしやすいように世話をする役といえばいいのでしょうか。
現実には非常に細かな仕事はこの梶川与惣兵衛がこなしていたのでしょう。
大石内蔵助が「討ち入りたくない内蔵助」で自分の運命を恨むシーンがたくさんあるのですが、この小説では、梶川与惣兵衛がまさに自分の運命を恨んでいます。

名前だけで全く役に立たない、役立たずに残り二人の高家肝煎は仕事が全くできません。
むしろこの事件を起こす原因となっているただの害悪、老害の人物です。
こんな箸にも棒にもかからない人物が高い役職を得ているという日本の国の仕組み自体が不幸の始まりです。
何もこれは江戸時代の話ではなく、今の日本の社会にも通じるなと思うんですね。
元の肩書が凄ければ、その肩書だけで天下りして無用の費用ばかり発生させ、現場を混乱に陥れる人たち。
あなたの職場にもいませんか。

話がそれてしまいましたね。
ともあれ、この悲劇を引き起こした原因は当人たち二人ではなく、外野なんです。
もちろん下級役人にすぎない梶川与惣兵衛はこのようになる可能性を現場で感じつつ、なんとか式典を無事に終えようと最大限の努力をします。
サラリーマンの悲哀というか、中間管理職の板挟み感が痛いほどよくわかります。
「討ち入りたくなかった内蔵助」では梶川与惣兵衛は大石内蔵助にボロクソに言われたりしていますが、それは彼の感情論であり、行った行為には全く非の打ち所がありません。

この事件が起きた原因となっているのは、先程の役に立たない高家肝煎の二人であることは述べましたが、本当の問題は幕府そのもの、特に将軍そのものにあります。
ザコンである綱吉は、なんとか母親である桂昌院に高位をプレゼントしようと思いつくのです。
そんな浅はかな考えを実現するために、側用人柳沢吉保高家肝煎の中でも実力者の吉良上野介に、従一位という官位の内諾を取り付けろと無理難題を押し付けるのです。
吉良上野介は有能ですから、お金の工面さえ幕府が約束してくれれば、自分の奉公の花道を飾るつもりで引き受けるのですね。
そのため、長い間江戸をあけ、京の都にいなければならなかったのです。
そしてその理由を明かすわけにはいきません。
頭の良い浅野内匠頭にそういった裏事情を伝えることができれば、即座に理解し、刃傷沙汰二なんてことは、起こり得ないことなんですね。
浅野内匠頭は本音では邪魔くさい、やりたくもないこういった役目ですが、幕府に逆らうつもりなんてものはなく、吉良上野介に対しても厳しい人ながら、不正な蓄財をするような人物ではないと疑っていませんでしが。
ところが饗応役としての予算にケチを付けられ、勅使が到着する寸前まで突貫作業で畳の全張替えを命じられるなど理不尽な命令にも従ってきたわけです。
部下思いの浅野内匠頭はそれらの下働しをする部下たちとともに全く睡眠を取らずにフラフラになりながらも必死で役目を果たそうとしてきたのです。

梶川与惣兵衛も吉良上野介をとても尊敬しており、他の二人の肝煎は全く頼りにならない人物であるという事をわかっています。
直属ではないものの幕府という大きな組織で雲の上の人である吉良上野介を尊敬しています。
一方浅野内匠頭に対しては、下々の者にも優しく声をかけ、わざわざお国言葉を勉強してその言葉を使うなど、本当に部下思いの人物で、赤穂藩の人々を羨むくらいです。
赤穂藩主は人としてとても素晴らしく、身分の違いを乗り越えて「友」と呼んでくれる浅野内匠頭のことはとても大切な人だったんだろうと思うのです。

それがよく調べもせず、その日のうちに切腹させ、赤穂藩取り潰しの沙汰となったのです。
起こした事件の質から、仕方がないわけなのですが、「喧嘩両成敗」の原則を大きく破り、片手落ちの裁きは日本の国中を敵に回してしまったわけです。
太平の世の中で、たまたま運良く将軍になれた綱吉という人物。
庶民からも犬公方として馬鹿にされていたというのもわかりますし、個人的にはやっぱり好きに慣れませんね。
大変苦労して幕府を開いた家康や幕末の動乱期にどうすればよいのかわからなくなったと思う最後の将軍慶喜からすれば、
「おどれぁ何しとんじゃ、このボケカスがぁ!」
という気持ちになるのかもしれませんね。

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