悪魔の尻尾

50代から60代へ~まだあきらめない

討ち入りたくない内蔵助 白蔵 盈太

 

画像はAmazonより


白蔵盈太(しろくらえいた)さんの本です。
少し前に読んだ「義経じゃないほうの源平合戦」がとても面白かったので、この本に興味を持ちました。

 

tails-of-devil.hatenablog.com

 


大石内蔵助といえば、”忠臣蔵”、”赤穂浪士”。
超有名な物語ですよね。
史実でもありますが、本当のところは謎に包まれているところもあります。
多くの人が映画や小説などでしっている「忠臣蔵」は「仮名手本忠臣蔵」がベースになっており、かなりの部分が創作で史実とは大きく異なると思われます。
とはいえ、私自身、忠臣蔵のファンでもなんでもなく、むしろ「忠臣蔵なんてダサい」とすら思っていた人間ですから、これまでも興味なんて全く無く、映画なんかはテレビでやっていたのを流し見したくらいで、本なんかもほとんど読んでいません。

とまあ、こんな私ですが、この本は面白かったですね。
これをきっかけに色々と読んでみるのもいいかもしれません。

この本の目次

一、元禄十四年三月十四日(討ち入りの一年九ヶ月前)

二、元禄十四年三月十九日(討ち入りの一年九ヶ月前)

三、元禄十四年三月二十日(討ち入りの一年九ヶ月前)

四、元禄十四年三月二十九日(討ち入りの一年九ヶ月前)

五、元禄十四年四月十八日(討ち入りの一年八ヶ月前)

六、元禄十四年五月二十一日(討ち入りの一年七ヶ月前)

七、元禄十四年八月十九日(討ち入りの一年四ヶ月前)

八、元禄十四年十一月十日(討ち入りの一年一ヶ月前)

九、元禄十四年十二月十二日(討ち入りの一年前)

十、元禄十五年二月十五日(討ち入りの十ヶ月前)

十一、元禄十五年四月十五日(討ち入りの八ヶ月前)

十二、元禄十五年七月十八日(討ち入りの五ヶ月前)

十三、元禄十五年七月二十八日(討ち入りの五ヶ月前)

十四、元禄十五年十月七日(討ち入りの二ヶ月前)

十五、元禄十五年十一月五日(討ち入りの一ヶ月半前)

十六、元禄十五年十二月十四日(討ち入りの当日)

十七、元禄十五年十二月十五日(討ち入りの翌日)

十八、元禄十六年一月十五日(討ち入りの一ヶ月後)

十九、元禄十六年二月一日(討ち入りの一ヶ月半後)

二十、元禄十六年二月四日(討ち入りの一ヶ月半後)

 

 

登場人物

大石内蔵助
本作の主人公、筆頭家老ですが、本心はやる気がありません。
そのため「昼行灯」と陰口されています。
「松の廊下」事件がなければ、筆頭家老の家に生まれ、うまく立ち回りすれば1500石の家の当主として幸せな人生を過ごして終われたはずなのです。

浅野内匠頭
赤穂藩主。
この物語の冒頭で登場しますが、江戸城「松の廊下」で事件を起こし、即日切腹となるため、ほぼ登場しません。


吉良上野介
高家肝煎
イメージは悪代官ですが、本来はそういう人物ではありません。
ただ、赤穂藩からすれば憎き仇敵であることは間違いありません。

梶川与惣兵衛
下級旗本。
松の廊下での事件の当事者です。
切った浅野内匠頭吉良上野介にとどめを刺さんとするのを羽交い締めにして止めたのが居合わせた彼です。
彼の立場からすれば、そうせざるを得なかったのです。

安井彦右衛門
赤穂藩江戸詰家老。
穏健開城派。
いいところのボンボン家老です。
人当たりがよく家中で人気がありますが、内蔵助から見れば「役立たず」の「アホウ」です。
つまり、使えないヤツ。頼りないヤツ。
内蔵助に継ぐ家老のはずですが、空気です。
もちろんいつの間にか消え去って討ち入りには参加しません。


奥野将監
赤穂藩士、籠城抗戦派の一人です。

大野九郎兵衛
赤穂藩末席家老。穏健開城派。
若く時代を見据えた建設的な意見を持つ人物で、内蔵助は本心では彼と同じ意見です。
過激な田舎侍が多い赤穂藩であっても実は穏健開城派の方が多いのですが、誰も口を閉ざし、彼が言わざるを得なくなり、家中での批判を一手に受けてしまいます。

原惣右衛門
江戸詰の赤穂藩士。
松の廊下事件を知る人物。
籠城抗戦派。
言葉数は少ないですが、剛毅な性格で言葉に重みがあり、誰も逆らえません。

堀部安兵衛
江戸詰赤穂藩士。
高田馬場の敵討ちに助太刀した人物で、その俠気に惚れ込んだ赤穂藩士の堀部家が養子に迎えた人物です。
腕も立ち、人気もある人物。
籠城抗戦派の急先鋒です。

高田郡兵衛
江戸詰赤穂藩士。
籠城抗戦派の急先鋒の一人ですが、批判を受けることになります。
有名な堀部安兵衛と、もう一人奥田孫太夫という人物と合わせて3名が籠城抗戦派の急先鋒、過激派(3バカ)です。


徳川綱吉
江戸幕府5代目将軍。
「松の廊下」事件を最終的に裁いたのは彼です。

荻生徂徠
江戸幕府徳川綱吉ご意見番
綱吉のお気に入りの側用人柳沢吉保が連れてきた儒学者
後付の理由をこしらえる作文がうまい官僚みたいなイメージです。

 

 

 

感想

赤穂藩兵庫県ですよね。
お国の言葉は大阪弁とはまたちょっと違うものの、基本的にはものすごく馴染みのある言葉です。
標準語:知っている?
赤穂藩:知っとう?
という感じですね。
大学には大阪の人間も多いのでしたが、姫路から通っている人もおり、最初はちょっと違和感を感じるものの、関西風味のイントネーションは同じなのですんなり溶け込めます。
まあ、上品とは程遠いんですが、全編通して内蔵助の関西弁で語られるんです。
方言の話はここまでにしておいて。

切れ者として知られる大石内蔵助は、「昼行灯」は仮の姿で、相手を油断させるため、というのが今までの定説でした。
しかしこの小説では、昼行灯そのものです。
やる気がなく、なんで儂がこんな苦労せなあかんねや〜、という心の声が読者に伝わってきます。
筆頭家老という役職に誇りを持つどころか、面倒くさくて投げ出したい人物なんですね。
ところが、立場が人を作るのかもしれませんが、立派な人物として振る舞わなければならないという気持ちがあって、武士の妻のお手本のような妻に対しても、立派な武士、夫を演じていたわけですね。
なんだか太宰治さんの人間失格に書かれている「道化」みたいな気もしました。
まあ、楽しい小説です。
いや、楽しいなんて書いたら怒られますよね。
純粋な気持ちを持つ侍たちが命を顧みず討ち入りなんてことをしたのですから、笑い話にもならないはずです。
ところが、大石内蔵助の心の声をこんなにあからさまにお国言葉で語られると、同情するとかそういうもの以上に、今の時代に通じるところが多々ありすぎて、笑えてしまうんですね。
本当に失礼なヤツで申し訳ありません。
有名な話でもあり、歴史小説でもありますが、こんな肉声がすぐ聞こえてきそうな本はなかなかありません。

大石内蔵助が「討ち入りたくない」という本心を放り投げて、討ち入りに至った理由がこの本を読めばすぐに分かります。
サルでもわかる~」シリーズではないですが、読みやすくて面白く、「おるおるこんなヤツ~」みたいな、現在でも通じるような人間模様が描かれており、思わず膝を打つような、そんな小説です。

この本を読んだ後、「あの日、松の廊下で」という作品も読みましたが、それはまた後日。
この本は、事件後の話で、事件が起きるまでの経緯を描かれた本が「あの日、松の廊下で」ということになりますかね。

主人公大石内蔵助は、己の仕事を全うするために、様々な老獪な立ち回りを繰り広げます。
それは家老を嫌々やらされているながら、見事なものです。
彼は「藩士を無駄に一人も死なせない、死なせてなるものか!」という強い思いがあってその武士としての意地のために最新の注意を払いながら事を進めていくんですね。
すごいというか、これぞ上に立つものに求められているものですね。
強烈なカリスマ性があるわけではなく、ややもそれば部下からも軽く見られている筆頭家老。
自分に対する冷静な評価もしており、決して強引に事を運ばないんですね。
勇ましく、武士はこうあるべき!というのは簡単で、それに乗っかってワアワア言うのは考えることを放棄した者たちです。
赤穂藩の人物評価も見事で、誰がどのように立ち振舞をするのかも見切った上での采配はただただ脱帽するしかなく、まさに知恵者何でしょう。
そういう意味では「能ある鷹は爪を隠す」ではないですが、いつもは仕事をあまりしない「昼行灯」を演じていたのかもしれません。

面白かったセリフはたくさんあるのですが、良かったと思えるセリフやシーンをいくつか抜粋します。

勇ましく城を枕に討ち死にだと声高に叫ぶ藩士たちを見ながら、

人は匿名で集団の中に埋もれると強気になる。だが、集団から抜き出されて名前のある一個の人間に戻されると、途端に羊のようにおとなしくなるものだ。


籠城派の勢いはいまだけだ。彼らはいま、混乱と興奮の中で我を忘れて、死に花を咲かせるべしと勇ましい自分に酔っている。

 

殿の非業の死を語り、籠城抗戦を説く人たち
感情論のほうがずっと格好はいいし、それを切々と訴えるほうがずっと善人のように見えるのだ。
まさに正論は感情論に勝てないということですね。

 

意見の割れる赤穂藩の談合で、藩士たちの軽蔑の批判を一手に受けた末席家老の大野九郎兵衛を前にして、心のなかでつぶやく
大野殿…藩士全員がお主のように、磁性を知って賢く立ち回れる人間やったらどんなに楽なことか。このご時世、取り潰しになった藩にいつまでも忠義立てしたところでなんの意味もあらへん。とっとと見限って、早く次の仕官先を見つけるのが一番やと儂も思うわ。できることなら儂も、こんな融通の利かん藩士どもなんてとっとと見捨てて、今すぐ席を立ちたいねん…
これが内蔵助の本音ですね。
しかし現実にはそうしなかったところに、忠臣蔵のすばらしさがあるんですけどね。

 

煮えきらない筆頭家老に対して過激派の急先鋒の堀部絵安兵衛を目の前にして
お主みたいに世の中を白と黒にズバズバ塗り分けられるんなら、痛快やろうし見た目はわかりやすくて美しいわな。
でも、そうしたら黒に塗られた半分は死ぬんやで?
だったら、灰色のままにして全員生かしといたほうがええやろが。
その灰色が美しくないだとかハッキリしないだとか、自分ひとりだけが美しくまっすぐ純粋でありたいお主が気安く言うなや~

 

いよいよ討ち入りへと動き出した赤穂浪士たちだが。
浅野家の恩を多く受けたはずの高禄の藩士はほど如才なく立ち回って、気がつけば煙のように忽然と姿を消しているのに、下級藩士ばかりがこの沈みゆく泥舟に愚直に居残っていた。

 

 

面白い作品ですので、オススメですよ~!

 

 

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