悪魔の尻尾

50代から60代へ~まだあきらめない

じんかん 今村翔吾~大悪人松永久秀が好きになる本

 

勝手にサブタイトル「大悪人松永久秀が好きになる本」とつけさせていただきました。
おそらくこれまでの歴史小説で、松永久秀ほど悪人に描かれた人物はいないでしょう。
出自も謎の人物が歴史の舞台に登場し、派手に暴れまわるというイメージですね。

 

目次

第一章 松籟の孤児

第二章 交錯する町

第三章 流浪の聲

第四勝 修羅の城塞

第五章 夢追い人

第六章 血の碑

第七章 人間へ告ぐ

登場人物

織田信長
この物語の語り

狩野又九郎
信長の小姓

九兵衛(くへえ)
主人公で後の松永久秀

甚助
九兵衛の弟で後の松永長頼

瓦林総次郎秀重
松永家の筆頭家老で剣豪

武野新五郎
堺の承認で、茶の湯創始者武野紹鴎

三好元長
阿波国の武将で堺の自治の実現とともに理想の世の中を描く

海老名権六家秀
松永家家老

四手井源八家保
松永家家老

松永久通
松永久秀の嫡男

多聞丸
九兵衛幼少期肉楽をともにした盗賊の頭

日夏
幼少期の盗賊の一人で美しい少女

宗慶
本山寺住職

柳生家慶

細川高国

細川晴元

足利義輝

筒井順慶
元僧侶から武力を持ち、戦国大名となった

三好長慶
三好元長の嫡男

実休
元長の弟

安宅冬康
元長の弟

十河一存
元長の弟

三好長逸
悪名高い三好三人衆

三好政康
悪名高い三好三人衆

岩成友通
三好三人衆だが出自不明

 

 

 

 

あらすじ

織田信長の小姓である狩野又九郎が、速足で信長のもとへ駆けつけます。
謀反の報告をするためであり、主がものすごく気が短く、怒ると手がつけられない人物であるため、又九郎もとても緊張しているのです。
謀反を起こしたのは松永弾正少弼秀久で、彼はこの恐ろしい主の信長に反旗を翻した人物。
今度という今度はただでは済みそうにありません。
怒り狂う信長ではなく、静かに又九郎に対して「壁になれ」と命じます。
信長は「壁」に向かって、大悪人松永弾正久秀を語り始めるのでした。

多聞丸という男は孤児たちを集め、悪事を働きながらなんとか生きてきました。
多聞丸率いる子どもたちの窃盗団は、それはみんな大変な運命を背負って生きてきた子どもたちなのでした。
ある日襲いかかったのは人さらいの者たち。
そこにいた九兵衛と甚助という兄弟を救い出します。
悪事は働くものの、彼らは子供には決して手をかけることはないのでした。
救い出した兄弟、九兵衛と甚助も行くあてもないため、多聞丸たちの仲間になるのでした。
父親が目の前で足軽たちに殺され、食えない状態の母親は、自殺します。
母の遺言は自分の肉を食えということでした。
九兵衛はその言葉には従いませんでした。
そんなことをすれば、それはもうすでに人間ではないと思ったからでした。
この兄弟は寺に引き取られました。
その寺も夜盗に襲われたのでした。
そして人さらいたちに捕まり、それを襲った多聞丸たちに助けられたというわけです。

多聞丸たちとの生活は2年ほど続きました。
多聞丸とも日夏とも歳が近く、正しい生き方とはいえないものの、幸せなときでした。
しかし、この孤児たちの窃盗団も長くは続きませんでした。
襲いかかった一党の中に兵法者(剣術)がおり、腕の立つ子どもたちとは言え、とても叶わなかったのです。
多聞丸は仲間の女子である日夏たちを助けるため、犠牲になったのでした。
多聞丸は自分の刀を九兵衛に託すのでした。
九兵衛は幼い弟の甚助に日夏を託し、多聞丸のもとへと戻ります。
多聞丸の他、腕のたつ仲間たちが殺されています。
多聞丸を中心とした盗賊生活は終わり、九兵衛は弟の甚助と妹のような日夏を連れて、と本山寺の世話になるのでした。
どこの寺も荒れ果てていますが、本山寺は身寄りのない子供の世話をしています。
本山寺に支援をしているのが三好元長というものでした。

 

感想

読み応えのある歴史小説です。
戦国時代の梟雄松永弾正少弼久秀の物語なのですが、織田信長が小姓に語りかけて物語が進んでいくという形式を取っています。
なぜ松永久秀が大悪人と呼ばれるようになったのかと言うのが痛いほどよくわかります。
確かに史実では将軍を殺し、三好三人衆と戦い、信長に降ったと思えば機を見て反旗を翻すということを繰り返した人物。
東大寺に火をつけるなど神仏を敬わない人物。
これだけを見ればまさに悪人としか言いようがありません。
でも松永久秀の出自を正確に表しているものはなく、前半生は謎に包まれています。
年少の頃より文字が書け、手先が器用であったため、祐筆として三好家に使えることになった経緯がわかるようなストーリー仕立てとなっています。
また弟の甚助とは性質が異なっています。
甚助は体も大きく、まさに猛将として松永家の柱石となっていきます。
また世話になった柳生家慶のもとでの剣豪瓦林総次郎との出会いも楽しく描かれています。
九兵衛(松永久秀)もかなり素敵な人物として描かれているのですが、この家老の瓦林総次郎がなかな良いキャラクターです。
剣豪だけあって腕が立つのはもちろんですが、やはり小さな家と言えど、武家の次男坊。
継ぐ家もないので成り行きで九兵衛についていくのです。
そして弟の甚助は松永家きっての猛将に成長する姿が頼もしく、人懐っこい童であった頃から描かれているだけに愛着がわきます。
松永久秀のように侍でもないのに、一国一城の主、大名になった例はいくつかあります。
代表格は秀吉ですが、彼の場合は織田信長という強烈なオーナー社長がおり、それを受け継いだ結果です。
やはり松永久秀と比べるのは美濃の蝮こと斎藤道三でしょう。
どちらも前半生は謎に包まれていますし、とても器用な人物で大名の家臣となって、主家をしのいでいくという形です。
斎藤道三をベースに見ると、松永久秀も三好家に取り入って、家裁を牛耳ったというふうになろうかと思うのですが、この小説を読むととんでもない思い違いをしているのではないかと思ってしまいます。
名もなく家もない松永久秀武野紹鴎(武野新五郎)のお茶の弟子であり、千利休よりも先輩格になるわけですね。
堺の自治を目指したとされる三好元長の理想を継ぐものとして描かれているわけです。
もし様々な小説で描かれる松永久秀像ならば、なぜに堺の自治が成り立ったのか?という疑問もあります。
同時に信長のような激しく、切れすぎる人物に一度の謀反を許してもらえたのも不思議です。
彼に信長をうならせるなにかがあったことは確かでしょう。
それが茶の湯だったかもしれませんし、神仏を糞食らえという考え方だったのかもしれません。
戦国時代を作ってしまった足利幕府や将軍、管領など権威に対しては全く尊敬の念もありませんし、この時代の常識を破壊して新しい世の中を作り上げる!という理想は信長と共通の考え方だったと言えるのかもしれません。
斎藤道三を描いた司馬遼太郎さんのベストセラーの一つ「国盗り物語」があります。
私も過去に2回ほど読みましたが、あれはあれで面白いのですが、この松永久秀の物語も大変面白い物語です。

松永久秀が悪人として語られるのはやはり後世の書物の影響が大きいのでしょう。
そしてその影響を受けた歴小説の大家である山岡荘八氏の「織田信長」や「豊臣秀吉」で描かれたことが多くの人の記憶に残ることになっているのだと思います。
久秀の悪事とされる3つの出来事は、将軍暗殺、東大寺大仏殿放火、信長に対して2度の謀反という点です。
将軍暗殺や大仏殿放火に関しては明確な文献もなく、証拠がありません。
信長に対しての謀反に関しても、久秀は足利義昭の世話係でもあったため、やむなくという側面もあったのではないかと思えます。
大体あの信長が謀反を1度は赦しているということ自体が、異常事態です。
あの苛烈な信長が謀反を赦すとは考えられません。
謀反は起こしていないまでも、役に立たないという理由で、譜代の家臣であった佐久間信盛を追放するような人物です。
信長の人物を見る目は優れていますから、有能な人物であったのは間違いないですし、その思想に共感する部分が多かったのではないのでしょうか。

この本を読んだあと、松永久秀を戦国時代の悪人として語ることがはできなくなると思いますね。



 九兵衛は武士や足軽という生き物を蛇蝎のごとく嫌っていた。
 武士や足軽は自信では何も生み出さず、人から搾取するのみだからだ。その「奪う者」どうしが、相手の利権をさらに奪うためにまた戦う。乱世とは詰まるところその連鎖ではないのか。

今の時代も同じです。
自らは何も生み出さない権力者たちが己の支配をさらに強くするために、権力者どうしの争いをします。
そこにつきあわされているのは、世の中を支える庶民たちです。
今のロシア、ウクライナを見れば特にそう思いますね。



人間、同じ字でも「にんげん」とよめば一個の人を指す。今、宗慶が言った「じんかん」とは人と人が織りなす間。つまりはこの世という意味である。

この物語のタイトルがここに書かれています。
人間として生きることは、人の道を外さないことだと強く感じました。

 

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