悪魔の尻尾

50代から60代へ~まだあきらめない

義経じゃないほうの源平合戦 白蔵盈太

本屋さんでこの本を見かけて手にとってレジに持っていこうとしたのはおよそ半年ほど前のことだったと思います。
本を買って読み終えるとせっせとブックオフにもっていったり、ネットで売りさばいてくれる妻を思い出し、そっと元の位置に。

というわけですっかり忘れていたこのタイトルですが、Kindle Unlimitedに登場しているではありませんか。

早速ダウンロードして読んでみました。

この本の目次

はじめに

登場人物

一、挙兵

二、旭将軍

三、義仲追討

四、宇治川の戦い

五、一の谷の戦い

六、三日平氏の乱

七、葦屋浦の戦い

八、屋島の戦い

九、壇之浦野戦い

十、造反

十一、義経じゃないほうの造反

用語解説

あとがき

 

登場人物とあらすじ

源範頼
この歴史小説の主人公です。
武家社会を開いた頼朝の弟ですが、義経ではないほうです。

源頼朝
いい国作る(はずだった)鎌倉幕府初代将軍。
嫌なヤツですね。

源義経
頼朝公の弟君といえば牛若丸こと義経です。
幼いというか、バカというか、そういう人物に天才的な軍事的な才能を与えた神様のいたずらなのか?

後白河法皇
日本一の大天狗と呼ばれた人。
武士という荒くれ男たちを手のひらで転がすことができる偉い人です。

天野遠景
古株の御家人で、範頼の良き理解者で、この物語の中では最もまともな人。

梶原景時
古株の御家人
真面目で責任感が強いが融通が利かない堅物です。

和田義盛
古株の御家人の一人。
ガハハと快活に笑う脳筋キャラ。

あらすじは史実通りです。
主人公の源範頼が兄よりともに会うというシーンから始まります。
範頼は現在の浜松で荘園の護衛をしながらのんびりと暮らしていましたが、兄の頼朝が平家打倒を旗印に東武士たちをまとめ上げて西へと進行していきます。
奥州の藤原氏のもとにいた弟の源義経がいち早く兄と合流。
気が進まない範頼でしたが、加勢しないわけにも行かず兄と会いますが、明らかに出遅れてしまった事がわかります。
古株の御家人の天野遠景が案内役として範頼に付けられます。
天野遠景はなかなか優れたバランス感覚を持っており、彼を通じて頼りのない範頼は頼朝のもうひとりの弟武将として生きていきます。
頼朝との出会いは最悪で、どうもこの兄が苦手な範頼でしたが、次第にどういう人物なのかというのが、わかってきます。

もう一人の弟の義経
彼はもう若く、幼く、無邪気なものです。
武家の頭領として尊大に振る舞う兄頼朝と双六をやって兄を負かしてしまうのですが、別段兄の頼朝は怒っている風もありません。(当時は)
この天真爛漫な弟義経にいつも助けてもらう兄の範頼です。

この弟は軍事的な天才、強運を持った男でした。
兄頼朝はこの国の表向きの支配者である後白河法皇と腹の探り合いをする老獪な政治家であり、彼も政の世界においては天才です。
政の天才と戦の天才という二人の眩しいほどの才能の間で萎縮するしかできない範頼ですが、そんな範頼を温かい目で見守ってくれるのが天野遠景でした。

気難しいTOPの頼朝にいつもビビりながら、次第に自分が責任を追わずに済む方法がわかってきます。
その反対に輝かしいまでに戦功を上げる弟の義経はどこか危ういところが目立ち始めます。
頼朝という人物は事細かく自分に報告がないと機嫌が悪くなります。
猜疑心の塊であり、底意地の悪さがたまらない人物。
それに引き換え、義経は純粋すぎるのです。
彼にとっては平家との戦そのものが、双六であり、勝つために知恵を絞って相手の意表を突くというのが天才的なのです。
数の上でも土地の利でも不利な源氏方にあって、連戦連勝を納めたのはひとえに義経という不世出の天才軍事家があってのことです。

 

感想

「平家あらずんば人にあらず」
平清盛が存命中は、世の中は平家が我が物顔していた時代です。
そんな時代に登場した頼朝、義経という二人の天才と、彼らと比べて地味で目立たない範頼という武将。
この物語はそんな日陰者の範頼が主人公なんですが、それだけにものすごく私達一般人に近い目線で描かれています。


自らを何の取り柄もない凡人であると達観している範頼。
これはある意味すごい才能で、すごいことなのかもしれません。

この小説の内容は史実や小説などでも出ている通りです。
史実を曲げてまで描こうとしているのではなく、普通の人から見た源平合戦を通じて、気難しい頼朝とアホな義経を描いてくれています。
自分が範頼と同じ立場でも同じでしょう。
面倒くさいったらありゃしない。

彼の心の声が文章として描かれていて、それがとてもよいというか、もう共感しまくりなんですね。

頼朝のような猜疑心の塊でもなく、「日本一の大天狗」と腹のさぐりあいに打ち勝つほどの胆力があるわけでもありません。
また、義経のようなどこかちょっと頭のネジが飛んだような天才軍事家でもありません。
この時代に義経という人物がいなければ、平家を滅ぼせたかどうかはわかりません。
いくら頼朝が政治的にうまく立ち回っても、戦は所詮勝たないことには政局もこっちに向いてくれません。
圧倒的に不利な状況であってもものともしない軍神で、神がかり的な勝利を収め続けるのです。
そして頼朝のような駆け引きができる人間でないと武士がこの国を仕切ると言う世の中を作り出すことはできなかったでしょう。
武士は天皇上皇法皇のコマとしていつまで経っても政争の道具にしか過ぎなかったと思います。
範頼は凡人オブ凡人というキャラで描かれていますが、実はなかなか優れた人物であったはずです。
でなければ源平合戦の総大将にはなっていないはずです。
彼は軍事的に大成功を納めてはいませんが、大きな失敗もありません。
義経の活躍の陰に隠れて無能呼ばわりされがちですが、義経は常に遊軍的な扱いで本隊ではありません。
主力軍はあくまで範頼の軍なのですね。
ちなみに源平の本格的な戦いには頭領の頼朝は参加していません。
鎌倉でにらみを聞かせているといえばそうなるのでしょうが、これまでの戦ぶりからいっても、大軍の大将として有能であったかどうか疑問符がたくさんつきそうです。

義経の話を描くと、どうしても頼朝は悪者になります。
まあ、仕方がありません。
義経を悲運の武将として描くためには、彼を討滅した張本人である兄頼朝が「善人」出あっていいはずはありません。
この小説は頼朝にも義経にも肩入れしていない立場で描かれていますが、やっぱり頼朝の底意地の悪さが出てしまいます。
この時代背景と歴史の結果からして、頼朝を善人として描くことはできないでしょう。
ただ、政治の世界は綺麗事では済ませられませんしね。

凡人範頼はまさに凡人である私達と同じ感覚、同じ目線でこの時代の戦を描いてくれました。
痛快です。
鎌倉殿の13人を見ていた人なら楽しく読めることは間違いありません。
また目立たないけれど本当は大事な仕事をしている裏方の人も、きっと満足すると思います。
実際に現場で仕事をしないのに数字ばかりを求めてくる本部の上司と同じだと思いながら頼朝憎しと読むのもまた楽しいです。

気に入った範頼の心の声などをここでいくつか抜粋しておきましょう。

義経の天才的な軍事的才能を認めつつ、
戦とはある麺で、地味な事務作業の連続とも言える。日々の兵糧を調達し、全軍に分配し、戦いの進捗を鎌倉に報告する。私は別にそういった作業が苦ではないが、義経は大の苦手だった。

脳筋キャラの和田義盛との「戦」の考え方について
私にしてみれば大将の仕事など、しょせんは毎日の飯の手配と揉め事の処理に尽きる。和田殿の考える「戦」と私の考える「戦」は、だいぶ違うものであるらしい。

陸上では平家を圧倒したものの船を持たない源氏は手も足も出ない状態で、さらには兵糧不足という状況で
私としてはもう、さっさと負けて鎌倉に逃げ帰り「私では勝てませんでした。お兄さまぜひご自分でどうぞ」と言ってやりたいのが本音だったが、~


頼朝は範頼を義経討伐の総大将として指名するが、それの辞退を考えます。
その時の頼朝の人間性を評して
この底意地の悪さと厳しさが、兄さまをこの国の覇者たらしめた大きな資質なのだとは思うが、それにしても人間として大事な何かが、この人には欠落しているのではないか。


この後、結局このおとなしい範頼は一番恐ろしい兄にささやかな「造反」をするのです。

登場するキャラクターを面白おかしく描いてくれたこの小説ですが、終盤にかけてのシーンの数々は涙を誘いますね。

 

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