悪魔の尻尾

50代から60代へ~まだあきらめない

実朝の首 葉室麟

ここのところ、帰宅がめちゃくちゃ遅く、朝起きるのもつらい状況でしたね。
通勤電車での読書もすぐにコックリしてしまいます。
ということを書きつつ、とりあえず下書きして、それを再開して書き始めています。

さて、「実朝の首」という何とも言えないタイトルですが、読み終えてみるとこのタイトルがピッタリの内容であることがわかります。
現在放映中のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ている人にとっても興味深いお話だと思います。
「鎌倉殿の13人」は主人公は北条義時ということになっています。
鎌倉幕府を起こした頼朝。
不遇の若い頃から、流れ着いた伊豆で北条政子と出会い、そこから平家を倒して武家の棟梁として鎌倉幕府を起こしました。
この物語では頼朝の死後、2代目将軍の頼家も亡くなった後の話です。
更に言うなら、3代目将軍実朝も登場まもなく、甥の公暁に襲われてしまいます。
そして実朝の首は公暁によって持ち去られたものの、その後その首を巡って、鎌倉のぶ家たちの奪い合いに加えて、京方の後鳥羽上皇が絡んできます。

夫頼朝亡き後も尼将軍と呼ばれることになる北条政子という烈女はこの物語でも描かれています。
残念ながら弟の北条義時はパッとしません。
腹黒い2代目執権でその権力を使って御家人たちを懐柔あるいは征討していく人物で、あまり良い描かれ方はしていません。
また執権として絶大な権力を持っているにも関わらず、姉には頭が上がらないようで、その点もマイナス評価なのでしょうね。
2代目執権ということで初代は父親である時政です。
ドラマでは頼りない姑殿を演じていますが、頼りない人ならそもそも執権にはなっていませんし、その後も権力を握っていくこともなかったと思います。
そんな時政も息子である義時に追放されます。
北条家は鎌倉幕府の将軍家ではありませんが、実質の支配者となっていく過程での物語。
実父を追放し、子供は将軍になっても殺されてしまうというなんとも血なまぐさい一族である北条家。
執権として鎌倉幕府が長く続いたのは、この北条家の政治力によるところが大きいと思いますが、歴史の舞台で輝かしい印象がないのはやはり、このような陰鬱な権力争いの末に成り立ったということが大きいと思います。

目次

第一章 雪の日の惨劇

第二章 首の行方

第三章 廃れ館

第四章 秘策

第五章 和田党

第六章 弔問使

第七章 将軍家の姫君

第八章 首桶

第九章 伊賀の方

第十章 新将軍東下

第十一章 箱根峠

第十二章 人もをし

あらすじ

鎌倉幕府3代目将軍である源実朝は、雪の降る拝賀の日に鶴岡八幡宮にて甥の公暁によって切り捨てられ、その首を奪われてしまいます。

首は2代目将軍頼家の次男である公暁とその付き人である弥源太は実朝の首を持ち去ります。
公暁は叔父の実朝亡き後は、自分こそが将軍の血筋であり、自動的に将軍になれると思いこんでいたのでした。
もちろん公暁をそそのかした人物がいるのです。
三浦家で下働きをしている弥源太は公暁に使えているものの、苦痛でしかなく、首を持って然るべきものに渡せば恩賞に預かることができるのではないかと思うのです。

謀反人として公暁は追われます。
自分をそそのかした三浦の屋敷までたどり着けば、将軍いなれると思っていた公暁は、鍛えた体と武芸だけは素晴らしいのですが、政局を見る力はありませんでした。
彼は三浦義村の部下に討たれてしまいます。

公暁が苦痛でしかなかった弥源太は三浦一族にも恨みを持っていました。
一旦は首を穴に隠したのですが、追手を振り切った後、首を取り戻しに来ると、そこには腕の立つ武士がすでに首桶を奪っているのでした。
そして弥源太を連れて彼は和田党の残党と合流します。
朝夷名三郎義秀は鎌倉では知らぬものがいないほどの豪の者でした。


実朝が殺害されたことはたちまち知れ渡ります。
首を取り戻そうとする鎌倉側と幕府に恨みを持つ和田の残党、更には摂津源氏も加わります。
そして武家の力を弱めたい朝廷の勢力がそれぞれ実朝の首を追いかけていくのです。

鎌倉幕府側は執権の北条義時とその手先となっている三浦義村
しかし一枚岩ではなく、義時は状況次第で三浦を切り捨ててしまう可能性があり、その疑いを持ちながら従う三浦義村

実朝の葬儀は首のないまま行われました。
現在の源氏の主流である河内源氏の将軍家に快く思っていない摂津源氏
彼らもまた実朝の首を狙っているのでです。

実朝の首を廻り、様々な勢力が蠢きます。



感想

鎌倉幕府源頼朝という大政治家によって樹立した武家政権です。
いつも思うのですが、頼朝は武士でありながら、戦での大手柄というものはありません。
軍事的に華やかなのは九郎義経
なので多くの読み物では義経を中心に描かれ、頼朝は腹黒い人物として描かれています。
現在放映中の大河ドラマでも、頼朝は決して褒められた人物ではありません。
そして彼に使える義時もまた腹黒い策謀家です。
ただ、義時であっても頭が上がらなかったのが姉の政子です。
女傑と言うのは彼女のような人物なのでしょう。
よく比べられるのが応仁の乱に発展することになるきっかけを作った日野富子と秀吉の側室の淀君
3悪女と言うか、ものすごく気の強い女性として描かれる3人ですが、タイプは違います。
我が子の死を乗り越えて、政治の差配を取り続けた北条政子は、他の二人と比べると圧倒的な政治力を持っているように感じます。
日野富子にしても、淀君にしても政治をかき回したという意味では大きな力を持った人物ですが、ことを大きくしただけで、収めるべきところへ収めたという感じではありませんね。

それにしても鎌倉幕府は将軍こそ形式的には代々続きますが、実質はこの実朝の死によって終焉です。
実質頼朝のあとは、源氏の幕府ではなく、執権家北条家の幕府です。
後に北条家の執権には優秀な人も現れているので、これはこれで良かったのでしょう。
ただ、この時代には身内同士での政権争い、力をつけた御家人たちの引きずり下ろし合いなどが続く陰惨な時代ですね。
その中で打ち手を間違えることなく、常に買ってきた北条家、特に北条政子の強さは際立っていると思います。

考えてみれば流浪の武士、家柄だけは一流で手勢も持たない頼朝を将軍にまで押し上げた北条政子こそ、日本史上最大のあげまん女性かもしれません。
しかし母として、女性として幸せだったのか?というと、彼女ほど気の毒な人生も待たなかったのかもしれないと思うのです。

 

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