悪魔の尻尾

50代から60代へ~まだあきらめない

影法師 百田尚樹

百田尚樹さんの影法師を読みました。

茅島藩という架空の小藩の武士たちの物語です。

登場人物

名倉彰蔵
茅島藩筆頭家老に上り詰めた人物。
元の名は戸田勘一。

 

磯貝彦四郎
少年時代は学問、剣術ともに非常に優れた人物です。
ある事件をきっかけに藩を逐電します。

みね
もとは磯貝家の下女の娘。
後に戸田勘一の妻となります。

 

 

あらすじ

茅島藩は8万石の小さな藩。
その藩の筆頭家老となった名倉彰蔵は磯貝彦四郎が亡くなったことを知ります。
磯貝彦四郎はこの藩から逐電していたのですが、故郷に戻ってきており、その後、用心棒などをしながら、死んでいったとのことでした。
磯貝彦四郎が死んだことにより、彼はかつてともに学んだことに思いを馳せていきます。

武士とはいっても下士である戸田家の主千兵衛は秀才でしたが、下士と上士の間には差があります。
ある日、千兵衛は息子の勘一と娘の千江をつれて釣りに来ていました。
千江は普段は父と兄の釣りにはついてこなかったのですが、この日は母の着物から作った新しい着物を来てとても嬉しい気持ちだったのです。
千兵衛はわずかニ十石の下士
そこへ上士が通りかかります。
千兵衛親子の振る舞いに因縁をつけてきたのは上士でした。
気骨のある勘一は、その態度に不満を漏らします。
上士は刀を抜いて無礼討ちしようとします。
年端も行かぬ子供に刀を抜く上士に対し、千兵衛は刀を抜き、子供を守ります。
その結果、戸田千兵衛は命を落としました。
大騒ぎになったこの街で、勘一を千江はある武家の家で保護されます。
その家は磯貝家という中士でした。
戸田勘一が磯貝家の次男である磯貝彦四郎との出会いでした。

勘一は道場にも通わず、ひたすら木刀を振り体を動かしています。
戸田家は貧しく、正式な剣術を習ったことはありません。
住職の恵海や私塾の先生である明石殿は、勘一を優れた資質を持った少年であることを見抜いています。
明石殿は勘一を藩校に入れることを進言します。
この明石兵部は大変な秀才でしたが、下士出身、しかも三男だったため、士官することはできず、私塾を開いて藩校に入れない下士たちに学問を教えているのです。

勘一は貧しいながらも藩校へ通うことになります。
磯貝彦四郎はその中でも文武両道の優れた少年でした。
彦四郎は勘一にも剣術道場に来るように薦めます。
幼少の頃より我流ではあるものの、ひたすら木刀を振り続けた勘一の剣は武骨ながらも鋭いものがありました。


貧しい下士とは言え、嫡男である勘一。
中士で才気あふれるものの嫡男ではないため、家督を継げず、部屋済みとなる可能性のある彦四郎。
二人は育ちも性格も違いますが、不思議と馬が合い、二人は将来の夢を語り合うようになります。

感想

影法師というタイトルを考えると、この物語の主人公は磯貝彦四郎ということになります。
下士から筆頭家老にまで上り詰めた勘一を常に影から支えていたのは彦四郎です。
彦四郎の口癖は「勘一はこの藩になくてはならない男」ということでした。
この物語は、江戸から国へ帰ってきて筆頭家老にまで上り詰めた名倉彰三(勘一)が、部下から聞いた彦四郎のことから、回想の形式で語られて始まります。

勘一が大変優秀なのは読んでいてわかります。
苦労を重ねていますし、その悔しさをバネに努力を惜しまない人物。
父から優秀な才能を受け継いでいます。
しかし彼が大きく伸びるきっかけを作ってくれたのは紛れもなく親友である彦四郎。
彦四郎は嫡男ではなく、どこか冷めた気持ちで人生を達観していたようなところがあります。
幼い頃、剣術道場に通う頃は、将来を嘱望されている人物だったのは間違いありませんが、結局彼は自分の人生を捨て、勘一の夢を実現するための布石となる人生を選ぶんですね。
彼の夢は何だったのか?と考えてみると、親友の勘一の夢を実現させることだったのかもしれません。
そういう意味では、彼は全く藩からも評価されませんでしたが、この藩の悪事を正し、優れた人物を藩の中心に据えることができたという点で、人生を全うしたと言えるかもしれません。
現実にはこの正反対の人物ばかりが目立つ時代です。
アピールが上手い人は出世し、地味だが大切な仕事をコツコツ積み上げている人はずっとそのままであったりします。
名君とされている藩主ですが、藩主からは嫌われても勘一のためになる行動を取った彦四郎。
ちょっと出来過ぎな物語ですね。

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