悪魔の尻尾

50代から60代へ~まだあきらめない

無理ゲー社会 橘玲

Amazonより

以前本屋で少しだけ立ち読みしていた本です。
興味はあったのですが、結局買わずじまい。
記憶から消えていたのですが、Kindle Unlimitedにあったので、読んでみました。

いつものごとく通勤電車での空き時間を利用しての読書です。


この本の目次

はじめに「苦しまずに自殺する権利」を求める若者たち

PART1 「自分らしく生きる」という呪い

君の名は。」と特攻

「自分さがし」という新たな世界宗教

PART2 知能格差社会

メリトクラシーディストピア

遺伝ガチャで人生が決まるのか?

PART3 経済格差と性愛格差

絶望から陰謀が生まれるとき

「神」になった「非モテ」のテロリスト

PART4 ユートピアを探して

「資本主義」は夢を実現するシステム

「よりよい世界」をつくる方法

エピローグ 「評判格差社会」という無理ゲー

あとがき 才能ある者にとってはユートピア、それ以外にとってはディストピア

 

所感

はじめにのところに書いてあるのが、「苦しまずに自殺する権利」を求める若者たちという文章です。
いきなりショッキングな内容ですが、本を読み進めていくと、なるほど、そういうことかとわかってきます。
いくつかのキーワードがありますが、そのどれもがなかなか鋭利な刃物のような鋭さでえぐってきます。
「夢の洪水」
夢を持つことを強要される教育。
確かに「青年よ大志を抱け」みたいに、将来の夢を書かされて、張り出されたりしましたね。
私の時代なんか、男子はプロ野球選手、女子はバレリーナとか歌手とかが多かったです。
バレリーナという言葉の格好良さにつられて、多くの女子が真似て書いたんだろうなあとは思います。
プロ野球選手やバレリーナがクラスにゴロゴロ居るというのも気持ち悪い世界ですけどね。
私は特に夢なんてものはなかったですね。
ごく平凡な家庭を築いて幸せに暮らしたいという漠然としたものでした。

「リベラル」
このリベラルという言葉がまた曲者で、本文をそのまま引用すると、
ここで言う「リベラル」は政治イデオロギーのことではなく、「自分の人生は自分で決める」「すべての人が”自分らしく生きられる”社会を目指すべきだ」という価値観のことだ
となっています。
そして日本では「リベラル」を主張する人たちが自己責任を嫌っているという矛盾を書いていましたが、そのとおりだと思いましたね。
自由と自己責任はリベラルな社会の基本部分で、それらは分けることができないことなのです。

「性愛の肥大化と友達の消滅」というのも、これだけ見てもピンときませんが、この本を読んで内容を説明されると、なんともうまく表したものだと感じました。
人間社会のつながりとして愛情空間・友情空間・貨幣空間に分けると、最も近しい存在は親子や配偶者、恋人といった愛情空間で、その周りには友人知人と言った友情空間があり、更にその周りには金銭のやり取りだけで繋がっている貨幣空間があるとしています。
友情空間というのはクラスメートやママ友などの例にあるように「政治」空間でもあり、個人の主張や利害が対立すると、それらを考慮した行動というのは大きな負担となり、人間関係を煩わしいと感じるようになります。
友情空間が縮小すると恋人との愛情空間が広がり、また友情空間=政治空間が現象するとその外側にある貨幣空間が増大するとしています。
つまり、浅い貨幣空間と恋人や配偶者との関係である愛情空間ばかりの世界が広がり、これまで同じようにあった地域社会、会社という組織での付き合いというのがどんどん縮小している、その結果、「性愛の肥大化と友達の消滅」ということになったんですね。
スクールカースト」と言う言葉も説明がありました。
例としては朝井リョウさんの「桐島、部活やめるってよ」が例として出されていました。
多感な思春期にこうしたスクールカーストを身近に感じ、将来にも絶望するのでしょうかね。

知能格差社会ではメリトクラシーという言葉がたくさん出てきます。
このあたりから本格的に著者が言いたいことがどんどん出てきます。
知能と努力による支配=能力主義というのがメリトクラシーの定義のようです。
リベラルな社会では「公平」と「平等」が尊重されます。
しかし「公平」と「平等」は両立しないことも、説明されています。
そこでも筆者による鋭利な言葉の数々が刺さってきます。
人間は結局、天賦の才能が平等でなく、不平等であるため注目すべき存在なのである。すべての天才がエリート階級に属し、すべての低能者が労働者になれば、平等はどういう意味を持つか。知能が同じなら地位も同じという原則以外に、いかなる理想を掲げることができるか

公平と平等というのが基本にあるリベラルな社会。
公平とは機会均等のことですが、人間には能力に差があり、当然ながら機会均等であれば、能力差により結果「平等」にはならないということなんですね。
リベラルとは本来機会均等の徹底であるはずで、結果「平等」ではないのに、日本ではそのあたりのことがごちゃまぜになっているんですね。


メリトクラシーのジレンマは、「知的な人たちと同じように、知能の低い子どもやその両親も、程度こそ少ないが、やはり野心をかきたてられること」だ。親は子どもに過剰に自分たちの”夢”を託すが、「野心が愚鈍といっしょになると、挫折を生むしかない」
なんとも残酷な感じの言い回しですが、これと同様のことが色んなところで起きていることは簡単に想像できます。

うだうだと書いてしまいましたが、とても面白かったですね。
いや、楽しい本、面白い本ではないです。
読んでいて鬱になりそうな内容でした。
ただ、捨て置けない内容だし、心の何処かでみんな持っているもやもやを言葉にしてくれている本なのかもしれません。
それだけに目の前に突きつけられると、「絶望」を感じてしまうのかもしれません。

この本の中でも自身の著書をいくつか出されていました。
興味があったのでその後、「上級国民/下級国民」、「働き方2.0vs4.0 不条理な会社人生から自由になれる」という本も読みました。
カブる部分ももちろんありますが、これらの本もなかなか鋭くえぐってくれますね。

 

 

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