悪魔の尻尾

50代から60代へ~まだあきらめない

八本目の槍 今村翔吾

Kindleにて購入した電子書籍です。
八本目の槍。
あれ?賤ヶ岳七本槍では?と普通思いますね。
その通りで、八本目の槍というのは七本鎗にならなかった人物なんです。
描くのは新進気鋭の時代小説家の今村翔吾さん。
以前読んだ「じんかん」もとても面白かったのです。
今回もどのように違った切り口で攻めてくるのか、期待をしながら読み始めました。

この本の目次

一本槍 虎之助は何を見る

二本槍 腰抜け助右衛門

三本槍 惚れてこそ甚内

四本槍 助作は夢を見ぬ

五本槍 蟻の中の孫六

六本槍 権平は笑っているか

七本槍 槍を探す市松

内容

七本槍といえば、賤ヶ岳七本槍で、秀吉の子飼の荒小姓たちが活躍するというイメージですが、この物語に登場する人物はその賤ヶ岳七本槍の物語。
ただし、史実に残っている賤ヶ岳の戦いを描いたものではなく、彼らを通して当時の戦国末期を描いた物語です。
七本槍も功績で一躍有名になった侍で彼らはその頃、つまり若い頃は立場もほぼ同じで、同じように秀吉のもとで学び、働いていましたが、時を経るに連れ、それぞれの思いや立場も変わってきます。

一本槍は加藤清正
舞台は朝鮮出兵から帰ったばかりの名護屋城でのシーンから始まります。
半島での戦で泥水をすすって生きながらえ、帰還した怒りを抑えながらでした。
幼き頃より机を並べて学んだ三成になぜ兵糧を送らなかったのかを問いただしたい気持ちでいっぱいなのです。
清正の立場から状況をつぶさに描かれていきます。

続いて助右衛門は槍の使い手としては秀吉の荒小姓のなかでは圧倒的な実力者です。
彼は播磨の小寺家に仕える志村家に生まれましたが、種違いの糟屋朝正という優れた兄がおり、尊敬していました。
本来は志村家を継ぐはずですが、兄の家である糟屋を名乗っています。
糟屋武則として名前が残っています。
助右衛門の槍の腕前は兄に鍛え上げられたからなのですが、兄弟の別れは非常なものなのです。
その時のトラウマが後にも引きずられていくのです。
七本槍で武勇を高く評価されましたが、小牧長久手の戦いでは敵前逃亡し、腰抜けと揶揄される始末。
七本槍の中で唯一西軍に加わった武将です。

好きな女のために生きると断言したのが甚内こと脇坂安治です。
このエピソードは面白くもありますが、戦国時代の凄まじさを垣間見ることができます。
男子は槍を持って、まさに命懸けで戦場にて殺し合うのが戦国時代。
しかし女子にもこの時代を生き残るために様々な知恵と命をかけての戦いがありました。
元は浅井家に仕官していた若き日の甚内は、お市の方に憧れ、素晴らしい女性を娶るために生きていくというのです。
同じく浅井家の家臣であった助作(片桐且元)とともに勢いのある羽柴家に使えることになりました。
甚内は明智家に応援に行かされることになります。
後に豊臣秀頼の乳母となった大蔵卿局は、大野治長の母親で八重。
大野家に嫁ぐ前は吉見家の人間で、吉見は別所家における重要な武将でした。
そして別所は頑強に抵抗し、明智光秀も苦慮しているのでした。

大阪城での淀君との会見のシーンから始まります。
4人目は助作、つまり片桐且元の話です。
大阪城での淀君との会見のシーンから始まります。
関ヶ原の戦いも終わり、徳川家康を止めることができる人物はいなくなりました。
三成に託され、苦悩します。
彼の地味な性格は、元々大人しい性格に加え、上昇志向の強かった父がなくなり、追うように自害した母が最後に残した言葉によるものです。
人が善く、頼まれごとを断らない性格で無欲。
これが周りから見る助作の評価でした。
市松(福島正則)の槍の稽古に毎回つきあわされてほぼ負けてばかりなのですが、そのおかげで戦場でも首球を上げることができるようになり、賤ヶ岳の戦いで手柄を立て七本槍の一人に数えられるまでになりました。
高齢になってから世継ぎが生まれた秀吉。
その世継ぎこそが秀頼で七本槍の中から守役を選ぶのですが、最も地味ですが、秀頼に懐かれるのが片桐且元だったのです。

五本目の槍は孫六、のちの加藤嘉明です。
彼の父は一向一揆で主君家康を離れ、その後戻ることなく落ちぶれた武士。
仕官先もなく、馬の売買の商いが生業と言ってもいい状態。
どこかに仕官して、という気持ちはありましたが、元一向宗というだけで仕官先はないのでした。
そんな中息子の孫六は馬の扱いに特別な才能があることを発見。
己は引退し、息子に武士として生きることを望むのです。
孫六は加藤家の養子として加藤を名乗り、秀吉の小姓として使えることになりました。
無口で茫洋としており、何を考えているのかわからない幼い少年。
何をやらせてもそれなりにこなす孫六馬術は抜きん出ており、また馬のみならず生き物に対する知識も豊富でした。
いつも蟻を眺めているのです。
彼の胸中は複雑だったのです。
彼の父は一向一揆で離れたものの、元は徳川家に仕える武士。
そして秀吉に仕える際に父から言われたことがが今もそうであるということなのでした。
孫六加藤嘉明となってからも常にそれは変わりないことなのでした。

平野長泰と名乗る前は権平と言われていた男です。
賤ヶ岳七本槍の中で唯一大名になれなかった男。
織田家に仕える武士とはいえ、凡庸な父で二人の兄も同様に凡庸でしたが、平野家の三男の権平だけはモノが違うのでした。
凡庸ですが、人柄の良い父や兄たちの期待を集める権平もいつしか万石大名になるのが夢でした。
自他ともに期待を持って秀吉の小姓組に加わります。
そこでは市松、助右衛門などには槍では全く勝てず、やりでようやく勝てるのは石田佐吉だけでした。
しかし佐吉は頭脳のデキが全く違い、生きている世界が違うことを実感します。
井の中の蛙であった己を実感します。
そして才能があるものの個性豊かな小姓組同士の諍いを収める潤滑油のような役割を自ずと担うようになるのでした。
そんな中、ただがむしゃらに戦った結果が賤ヶ岳七本槍の一人に数えられるまでになったのです。

最後の七本槍は市松こと福島正則です。
加藤虎ノ介と同じく、市松も数少ない秀吉の血縁。
幼い頃より腕白で腕っぷしが強く、あまり深く考えることはありません。
算術が苦手なのか、佐吉や虎之助のようにはできません。
しかし勇猛さは荒小姓の中でも飛び抜けており、いつも戦場では手柄を立てています。
そんな市松も福島正則となり、荒小姓の中では加藤清正に継ぐ大名になっています。
殿下亡き後、天下は徳川のものになろうとしていますが、これも家康亡き後は、再び豊臣の世の中になると踏んでいました。




感想

八本目の槍は言わずともわかるであろう、石田三成です。
もちろん賤ヶ岳の戦いで手柄を上げた一人でもあるのですが、語呂合わせというか七人衆というのが切りが良いということで、石田三成を含めて省かれたということのようです。
後に盟友として関ケ原でともに散った大谷吉継ももこの戦いには加わっていたそうですね。
ともあれ、七本鎗の武将たちにスポットを浴びせながら、描きたかったのは八本目の槍である石田三成なんですね。
堺屋太一さんの「巨いなる企て」という石田三成を主人公にした小説が有名ですが、今回の小説はよりリアルに生々しい感じが描かれているのです。
それもそのはず小姓になるまでのエピソードがそれぞれに描かれています。
それぞれの出会い、つまり小姓として取り立てられるときに佐吉との出会いがエピソードとしてありますが、どの話も興味深く読めました。
フィクション、創作の部分と、史実とをうまく組合わせた内容で、納得できます。
大河ドラマで「どうする家康」が放映されていますが、ちょっと見苦しい出来栄えですね。
まあ、大河ドラマは歴史ドラマではなく時代劇、フィクションとして見るなら何でもありなので、そういうもんだと思いながら見るしかないのでしょう。

小姓時代から秀吉が天下人になるまで、ともに成長した仲間であり、喜びを噛みしめあったはずなのです。
市松や虎之助の佐吉嫌いというのはどんな物語でも有名になっています。
だから多くの武断派が西軍ではなく東軍についたと考えられていますが、そんな単純な物語であるはずもないです。
猪武者として思慮のない市松が福島正則として国を治める大名になれるはずもありません。
虎之助は加藤主計でもあったように文官としての才能も高かったのですが、当時の荒小姓たちの中で最も話せる者同士であったのは三成だったのでしょう。
色々考え方があり、小姓たちも成長するにつれて、それぞれの立場もあります。
秀吉という稀代の人物はやはり相当な魅力のある人物で、殿下を中心に一つの力となっていました。
彼らは長浜時代、荒小姓の時代に辛苦をともにしていたわけで、「帰る場所」として秀頼を据えてくれたわけです。
ところが大阪城の主は秀頼ではなく、その生母である淀君でした。
結局のところ、行く末を予想していた三成は先手を打ち、大博打に出たのです。
負けることも当然想定してのことで、まさに恐るべき男です。
小姓時代からの「友」として、七本鎗の武将たちは「八本目の槍」に改めて脅威を感じずにはいられないです。
大阪城片桐且元が孤立していく様などもうまく描かれています。
秀頼の乳母の大蔵卿局である八重とのエピソードもとても面白かったですね。
八重は、真田の両天秤以上の人物ですね。
意外だったのは孫六こと加藤嘉明ですね。

流石に新たな時代小説の旗手の一人とまで言われる作者さんですね。
大変面白かったですし、オススメですね。

 

 

 

 

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