悪魔の尻尾

50代から60代へ~まだあきらめない

お金の流れで見る戦国時代 大村大次郎

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またまた大村大次郎さんの本です。
今回は日本のしかも戦国時代というポイントを絞った本なので、サクッと終わります。

 

サブタイトルには
歴戦の武将も、そろばんには勝てない
となっています。

国税調査官という著者ですから、経済的な側面から歴史を見ていくシリーズですね。

 

 


この本の目次

はじめに
第1章 幕府の”財政破綻”から戦国時代の幕が上がる
第2章 桶狭間の戦いは”経済覇権争い”だった!
第3章 織田信長の”錬金術”を徹底調査
第4章 税金オンチ・武田信玄は”破綻寸前”
第5章 軍需物資の”調達スキル”が武将の生死を分ける
第6章 ”血と欲望”にまみれた南蛮貿易の収支決算
第7章 比叡山フィナンシャル・グループ「年利は48~72%です」
第8章 ”集金レジャーランド”としての安土城
第9章 上杉、毛利、島津…諸大名たちの経済戦略
第10章 「本能寺の変」と「土地改革」の謎
第11章 秀吉は無謀な朝鮮出兵で何を得ようとしたのか?
第12章 家康の”経済効率のいい”天下取り
あとがきに代えて

内容

室町幕府は財政基盤がとても脆弱で、名ばかり幕府。
そもそも封建制度自体が政治をする上で、財政が厳しくなるシステム。
それは武士を従わせるために土地を与えることから、幕府の直轄領は減ると同時に、有力な武家の実力は増大していきます。
金&武力もなく、武家間の仲裁の能力もなくなるということは、幕府の権威が名ばかりで、何の実力もないことを証明していることになり、権威自体も失墜していきます。

室町幕府を終わらせた織田信長は、すでにこの制度の欠陥に気づいていたのかわかりませんが、この封建制度を破壊し、強力な中央集権国家を目指したのです。

桶狭間の戦い今川義元が天下に号令するために京都に御旗を立てるためとされ、これまでは、圧倒的な実力の今川家を小勢で討ち果たした織田家となっていますが、それらはかなり盛った情報。
織田家は今川家ほどではないにしてもかなり経済的には実力があったため、両国の経済覇権争い、知多半島の覇権争いだったと言います。
意外ですね。

信長といえば、気が短く、比叡山焼き討ちをするなど、天魔と恐れられた人物ですが、実は驚くほどの”善政”を敷いていました。
中間搾取が少なくなるように工夫、大減税を実施して民間経済を活性化することに心血を注ぎます。
流通革命である”楽市楽座”や”関所”の廃止、天竜川に橋を架けるなどインフラ整備にも力を入れています。

織田信長の最大のライバルと言えば、武田信玄ですが、信玄と信長は全く正反対と言える政策をとっています。
そして経済的に豊かだった信長に対し、非常に貧しい甲斐の国の信玄は不利で、晩年ようやく巡ってきたチャンスにかけたと見るべきなのです。

戦の強さばかりが目が行く戦国時代ですが、戦争をするために必要な物資をどう調達するかと言うのが大切なことです。
信長は早くからその点に着目し、重要拠点の堺を支配します。

信長の時代は南蛮貿易キリスト教の布教が各地の大名で行われていました。
南蛮貿易は西欧の物資ではなく、ほとんどアジアの物資の取引で、これまで倭寇という海賊が行ってきたのですが、ポルトガル倭寇に取って代わって行うようになったという側面があります。

この時代の寺社は巨大な財閥勢力であり、そのお金のパワーで経済を牛耳っていたのです。
そしてその経済力を背景に、高利貸しを行っており、「富めるものが更に富んでいく、特権階級ばかりが肥っていく」という状態だったのです。
その寺社の最大勢力が比叡山グループでした。
当然金貸しもやっており、年利48~72%ほどだったと言います。
とんでもない高利貸しです。
信長はそこを破壊することを目指しました。
信長以外も寺社には手を焼いていましたが、どうにもならないことの例えとして、

賀茂川の水
・サイコロの目
比叡山の僧
を上げています。
賀茂川の水(氾濫が多い、自然災害)とサイコロの目なんてものはどうしようもありませんが、それと並べられるくらい、比叡山の僧たちは、どうにもならないという例えです。

「天下取り」というよりもむしろこれまでの世界から新しい世界、秩序を生み出そうとした信長はやはり天才的でs、それ以外にも様々なアイデアを持ち、実行しています。

天下の三傑とされる、信長、秀吉、家康ですが、天下人秀吉は信長のコピーにすぎません。
目の前で信長がやっていたことをほとんどそのままパクって行っていたのです。
ただ一つの違いは、信長は以外に直轄領をあまりもっていません。
自分の領地のほとんどを家臣に”任せて”いたのです。
土地は家臣たちのものではなく、配置換え(転封)もしょっちゅう行っており、それは合理的なしくみだったのですが、当時の武家社会において、受け入れがたいところもあり、謀反を起こすという危険な点もあったのです。
秀吉は本能寺の変の教訓から広大な直轄領を確保していました。
秀吉は朝鮮出兵も信長の”遺言”通りの行動ですが、信長自身は経験したことのないことであり、秀吉にとっても上様の手本がありませんでした。
だからやり方がわからない。
失敗するべくして失敗していると言えます。
そしてその失敗のツケは石田三成に集中することになります。

家康は信長や秀吉のように天下を取るためにアクティブな行動をとってはいません。
むしろ版図拡大などは、抜け目なく、効率の高いやり方で増やしてきたのです。
強い敵には逆らわず、弱ってきてから一気に奪い取るというやり方です。
いわば「火事場泥棒」的なやりかたです。
ただし、アクティブにこちらから動けるわけではないため、”運”というものがなければいけません。
その”運”に徳川家康は恵まれていたのです。
これまで強大な敵に阻まれてばかりの家康ですが、いずれの強敵も自分で打倒したというよりは勝手に滅亡してくれたのです。
人質時代の今川家、信玄を失った後の武田家滅亡、天下取りを目前に控えた織田信長、そしてライバルであった秀吉の老衰死。
家康が徳川幕府という非常に強固な政治体制を築く事ができたのはこういった”運”とともに非常にケチであったこことも大きな要因。
とにかく直属の家臣たちにも高禄は与えず、直轄領はとてつもなく巨大なものでした。
最終的には家康は一族で800万石にも及んだといい、それらを後世に残すのです。
前田利家に100万石も与え、子飼いの加藤清正福島正則石田三成にもそれぞれ20万石ほどを分け与えた秀吉とは随分と違います。



その他の有力武将

戦国時代は三傑だけでなく、先述した武田信玄、そのライバルの上杉謙信、中国地方の毛利元就などもいたので、それらについても少々。

武田信玄
貧しい土地で治水などの工事をしなければ成り立たない土地柄。
海もないため、港がなく物資調達も大変苦労。
そのため、領土侵略浴は強いが、それが領民たちへの重税となっている。

上杉謙信
素晴らしい港を2つ領有し、金山も所有していたため、経済的には有利。
しかし古い権威から離れられず、天下を取るという野心がない

毛利元就
石見銀山という世界的にも巨大な銀山を所有していたが、それを活かすことができなかった。
瀬戸内海に面しており、 物流面、経済面では有利。
しかし急拡大した組織で、治世の能力にかけていた。

 

島津家
琉球との貿易で経済や物資の面ではメリットあり。
身内の平定に時間がかかったため、天下取りへは出遅れ。

 

長宗我部元親
港はあり、兵力も充実。
しかし領土が少なく、天下取りには出遅れ。

 

この本の感想

戦国時代の経済というよりも信長中心の話となっています。
それも仕方がないかもしれません。
当時の経済をダイナミックに変えていったのは紛れもなく革命児信長でしょう。
時代が求めた人物ですね。
歴史によく"if”がつけられますが、信長がもし本能寺で死ななかったら、本能寺の変がなかったらと言うのがあります。
天下統一していたでしょう。
その後の家臣たちの処遇も気になりますし、秀吉のように朝鮮出兵していたのか?やキリスト教南蛮人との付き合い方もどうなったのか?なども考えるとキリがありません。

そして信長の対比として登場するのが武田信玄ですが、割とボロクソに書かれています。
ただ、当時の経済力からすると、うなずけるところも多々あります。
甲斐の国が貧しかったことや、信玄堤として現在もまだ利用されるほどの立派な治水を行ったという点で、かなり無理をしていただろうと思います。
信玄は貧しい国ながら、強大な軍団を作ったという点で、偉大な武将だとは思うのですが、満を持しての西上戦ではなく、最後のチャンスに賭けたという方が経済的な面から見ると、しっくり来ます。

著者は大阪の方ということもあり、家康嫌いな一面も見え隠れしています。
「火事場泥棒」だの「ドケチ」だの書かれていますが、たしかにそのとおり。
効率を求め、安定政権を打ち立てるために、コツコツと無駄遣いせずに貯め込んだんですね。
三傑の中では確かに、派手さはありません。
子供の頃はやっぱりそれほど好きになれず、狸親父としか思えなかったのですが、今は、家康は日本の国の恩人だと思っています。
明治維新薩長が正しく、徳川が否定されましたが、新政府が成功したのは、安定した世の中で、庶民の文化水準も低くなく、米が中心の武家社会にあって、商業や工業も十分に栄えていたということが大きいと思うのです。
それらの礎はやはり徳川家康にあったと思うのですね。

秀吉が好きということもないようですが、三成に対しては非常に評価しているように思えます。
確かに光秀は、秀吉の失政である朝鮮出兵に関して、恨みを買う立場であったので仕方がないのかもしれませんが、本来恨むのは秀吉のはずで、筋違いでしょう。
人間として好かれない、敵を作りやすい性格だったのでしょう。
正論が人を動かすのではない、人の心に訴えかける感情こそが人を動かすのです。


この本と同時に読んでいたのが、同じく大村大次郎さんの「経済戦争としての本能寺の変」。
こちらはやはりもうひとりの主人公である光秀の話も大分出てきます。
本能寺の変は今でもまだ謎に包まれたままで、「日本の歴史」における謎の人つです。
いろんな説がありますが、どの説もそれらしく思えますし、そのいずれも影響があって、最終的に信長抹殺という決断をしたのだという意見もあります。
武家社会を壊そうとした信長」と「武家社会を守ろうとした光秀」という構図が著者大村大次郎さんの意見。
比叡山焼き討ち出て柄を立てた光秀はその後近江国一部を任されるのですが、複雑で収めにくかった土地を苦労しながらも、善政でしっかりと安定させます。
その土地を国替えによって追い出されるということに納得ができなかったことなども謀反の理由とされています。
母を殺された怨恨説もありますし、安土城へ招いた家康の接待役で信長の不興を買って、恥をかかされたこと、あるいは長宗我部元親との仲介役だったのに、長宗我部討伐となったために面目が潰れたことなど様々な理由があります。
元々の家臣ではなく、能力によって出世した荒木村重の謀反にも謎がありますが、それ以上に光秀の謀反には謎が多いです。

 

 

 

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