悪魔の尻尾

50代から60代へ~まだあきらめない

実伝 石田三成 火坂雅志編

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Kindleで買ったものでずっと放置していました。
あまり長くないので通勤中にサクッと読めます。

若い頃に堺屋太一さんの「巨いなる企て」を読みました。
あの本を読むまでは、学校の教科書にある三成像が、何やら気持ち悪くて、嫌いでしたね。
徳川時代に「悪役」として亡くなったあとも酷い仕打ちを受け続けていたんですね。
なので残っている肖像画もかなり異様な顔や表情なんですね。
学生の頃とは違い、「巨いなる企て」を読んだあとは、石田三成に対する味方が変わりました。
そういう前知識や火坂雅志さんの「天地人」などの影響もあり、随分と石田三成に対する印象も現在は変わってきているのでしょう。

この本にもある「歴女」と言われる女性にも人気があるとか。
確かに彼ほど嫌われてこれまで過小評価されている武将もいないかもしれませんね。

のぼうの城」で有名になった忍城攻略。
ここでも石田三成は冴えない役回りです。
あのまずい戦をしたのは間違いなく秀吉だろうと思うのですが、バブリーな秀吉の得意技は位攻めですから、圧倒的な兵力や物量で戦う前から勝負あり!というパターンなのですね。
そういう意味では水攻めという最高のパフォーマンスの舞台で失敗したものを「忠臣」三成が負いをかぶったという気もしないでもないです。

 

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この本は三成という武将にスポットを当てていますので、これまでの三成像をいろいろな角度から見つめ直しています。
となるとやはり時代劇や戦国モノの読み物などでこれまでに描かれる三成という人物は相当貧乏くじを引いている気がします。

加藤清正福島正則といった子飼いの武将、武断派は戦での手柄も多く、目立ちます。
しかし戦国時代も末期で太平の世に近づくにつれ、組織運営にあって、武断派の人間は段々と不要になります。
そして有能な文治派の武将が必要になるわけです。
三献の茶のエピソードも作られたところもあるかもしれませんが、細やかに気配りのできる人物だったのでしょう。
人たらしと言われた秀吉は、人を見抜く力も優れていたわけで、三成を重く用いたのもそれに見合う才覚があったからでしょう。

三成を「虎の威をかる」という言葉で語られることが多いのですが、秀吉と同じくらいに肝力のある人間だと思うのです。
秀吉は百姓の身から天下人になった類まれな幸運を持つ人物ですが、その運を引き寄せる胆力もずば抜けていたと思います。
実力主義という織田組織にあっても、後ろ盾のない秀吉が出世していくためには、危険な仕事、嫌な仕事をドンドン引き受けてこなしてきたからでしょう。
自分一人でやれるものではなく、使える人間を見つけて口説き落とし、動かすのがうまかったのは間違いないと思います。
一方の三成の図太さもすごいものを感じます。
加藤清正以下子飼いの武将たちに命を狙われるとあえて、その本丸である徳川の家に匿ってくれるよう出向するなんてことは大胆不敵。
死地に生を見つけるということなんでしょうか。
北近江19万石の大名が255万石の実力ナンバーワンの家康に歯向かうこと自体が「傾奇者」と言えます。
今の時代で言うなら、巨大な政権政党とがっちりタッグを組んだ官僚たちをむこうに回してでも堂々と渡り合うということでしょうか。
すごいことです。

徳川家康は三成を扇動して天下分け目の戦を起こしたというふうにも言われています。
と同時に、三成に対するリスペクトというか、「大したやつ」と認めているところがあります。
石田を貶めたものこそが、「虎の威をかり」、「長いものに巻かれ」「強きものにゴマをする」「太鼓持ち」のような連中なのでしょう。
特にそれが顕著に見えたのは、もともとの徳川家臣ではなく、秀良子街の武将たち。
彼らの三成憎しは、「喧嘩が弱いくせに、頭が良くて出世した三成」に対する嫉妬が元ですね。
武将たるものが最も恥ずべき嫉妬なんです。
そうすることで自分たちは徳川に忠誠を誓っていることを見せようとしたのでしょう。
三成は哀れなものですね。

三成という武将は事務処理能力、行政手腕が高いので、官僚タイプと言われます。
頭が切れすぎ、清貧過ぎたため、敵を多く作ったのはまずいですが、自分を偽って追従するということができない性格だったのでしょう。
真の武士とは信念に従って生きるものとするならば、真の武士として死んでいったとも思いますね。

 

 

 

 

 

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