悪魔の尻尾

みなさ~ん、元気にしておりますか?

境界線 中山七里

画像はAmazonより

Kindleにて読みました。
中山七里さんの小説『境界線』は、東日本大震災を背景にした社会派ヒューマンミステリーです。
「護られなかった者たちへ」という小説を以前読みました。
あの小説も東日本大震災をテーマにした内容で、暗く、重い内容。
映画化もされ、映画も見ました。
今回の作品はその続編、第2弾とされています。
ただ、内容的に直接のつながりはないので、この本から読み始めても全然OKでしょう。

 

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2018年5月、気仙沼市南町の海岸で女性の変死体が発見されます。
遺留品の身分証から、その女性は宮城県警捜査一課警部・笘篠誠一郎の妻であることが判明します。
笘篠の妻は7年前の震災で行方不明となっていましたが、遺体の様子から彼女は前夜まで生きていたことがわかります。
しかし、その遺体は笘篠の妻とは別人でした。
笘篠は、妻の身元が誰かに騙られていたことを知り、やり場のない怒りを抱えながら捜査を進めます。その過程で、震災の行方不明者の戸籍を売買する組織の存在が明らかになり、さらに別の殺人事件との関連性も浮かび上がります。

どんでん返しの帝王の異名を持つ中山七里さんですが、この小説はどんでん返しなどのテクニックではなく、人間ドラマとして描いた作品と、どこかのインタビューで答えていたように、中山七里さんらしくない作品でもあります。
だからといって面白くないというわけではなく、映画化された「護られなかった者たちへ」と同じくらい、あるいはそれ以上に面白かったです。
ただ、救いがない結末なんですね。

「境界線」というタイトルについては、最初意味がわかりませんでした。
この小説に登場するのは、東日本大震災の被災者たちです。
その中で、生き残った人と亡くなった人。
大切な人を失った人と失わなかった人。

行方不明でも家族にとって亡くなったことを認められず、戸籍上は生きていることになっている人たち。

自分の戸籍から逃れて、新たな個性が欲しい人。
そんなところにビジネスチャンスを見つけて、それを売買する人たち。
真面目に生きてきた人が被災し、罪を犯した人が刑務所で被害を受けなかった。
犯罪に手を染めるもの、なんとか踏みとどまるもの。
様々な人たちが生きていくこの世の中にあって、その「境界線」は一体どこにあるのか考えさせられます。

中山千里さんの鋭い文章、辛辣な言葉の数々もぐっと刺さってきます。
いくつかピックアップをします。

いったい何が復興かと思う。失った町と失った暮らしをもとに戻すよりスポーツの祭典が大事なら、事ある毎に為政者が口にする復興とはただの言葉遊びではないか。
これは強烈な言葉でしたね。
この物語の背景はまさに東日本大震災の復興とともに東京オリンピックを復興の旗印としていた日本政府と重なりますが、実際の被災地にしてみれば、スポーツの祭典で勇気をもらったとか、きれいごと何でしょうね。
もちろんスポーツの祭典、東京オリンピックが無駄だとは言いませんが、必要としている労働力がごっそりと東京オリンピックに持っていかれたこともまた事実なのでしょう。

どうしてあの時、公務を擲ってでも二人を捜しに行かなかったのだろうか。何度も悔やんだが、家族のもとに駆けつけてやれなかったのは何も笘篠だけではない。震災発生時、公務員と名のつく者たちは皆、己の持ち場でことに当たった。そして笘篠と同様に己を責め、自問し続けている。
私を捨て、公に尽くしたことは本当に正しかったのだろうか。

この部分も強烈ですよね。
公務員と言っても同じ被災者であり、家族もいるわけです。
非常時で家庭を顧みずに公務にあたったために後悔した人は多くいるでしょう。
心無い罵声を浴びせられたりもしたこともあったかもしれません。
彼らも同じ被災者なのですがね。

過去から逃れようと足掻いた者たちが、結局は追い詰められて命を落とした。皮肉といえば皮肉な話だ。
なんとも辛辣な文章です。
ここに登場している人は本来の名前、戸籍では生きていけなかった人たちで、お金を出して戸籍を買い求め、普通に生きようともがいていた人たちです。

大体において刑務所に来るような人間は面倒くさがりが多い。精神的にも経済的にも逼迫した時、地道で面倒な道よりも手っ取り早く安易な道を選ぶ人間は犯罪に走りやすい。いや、走りやすいというよりは陥りやすいと言ったほうが適切だろう。人間は誰しも悪党として生まれてくる訳ではない。その折々の選択の結果が現在に帰結しているだけだ。上り坂より下り坂の方が楽なのは当然で、いったん下り始めれば勢いがついて後は奈落まで真っ逆さまとなる。
これもよくわかります。
そのとおりだと思いますが、中山千里さんは容赦なく追い詰めてきますね。

笘篠は人生に勝ちも負けもないと思っている。幸福の度合いを測る物差しは様々で人によって異なる。生活の上辺を見ただけで個人の人生を評価するなどあまりに傲慢だ。
百歩譲って人生の勝ちを決める基準があるとすれば、それは懸命に生きたかそうでないかの違いではないか?
この部分は救われた気持ちになりますね。
勝ち組負け組という言葉が流行っていました。
俗物である私なんかもかなりその言葉に翻弄され、今も潜在意識の何処かというレベルではなく、寒い思いをすることがあります。
ともあれ、自分の人生に勝ちも負けもないでしょう。
勝手に人の人生に採点して評価する人って何様なのでしょうね。


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