悪魔の尻尾

50代から60代へ~まだあきらめない

最後の医者は桜を見上げて君を想う 二宮敦人

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通勤時や仕事の休憩時間に読んでいました。

 

タイトルを見て、「最後の医者ってなんだ?」と思っていたのです。
この後も最後の医者シリーズは続いているようなのですが、どういう内容なのかの前情報もなく、読み始めました。

気持ちよく読める小説ではありませんでしたが、適当に流して読んでしまおうと思えるような内容でもなく、様々な思いが頭の中を駆け巡りました。

 

 

登場人物

福原雅和
父が院長をである武蔵野七十字病院の副院長にして、天才的な外科医。
患者の命を救うことに執念を燃やす。

 

桐野修司
武蔵野七十字病院の皮膚科に勤務。
患者には死を選ぶ権利がある、というのが信念。
あだ名は「死神」。

 

音山晴夫
武蔵野七十字病院の勤務医。
福原、桐野とは同じ大学(東教医科大学)の医学部の同期。
優秀な二人と比べて、自分は見劣ることを自覚しているが、だからこそ自分だけにできることがあると信じている。


神宮寺千香
武蔵野七十字病院に勤務する看護師。
副院長である福原の指示により桐野を監視。

 

 

 

あらすじ

第一章 とある会社員の死

浜山雄吾は、サラリーマンで健康そのものだったが、体調不良の検査で急性骨髄性白血病が発覚します。
妻は妊娠し、初めての子供の出産を楽しみにしていました。
抗癌剤治療を行い、一旦寛解状態になるものの、再発の危険性はあり、骨髄移植の打診がありました。
浜山は、大いに悩みます。
「死神」と呼ばれる桐野医師の噂を聞きつけ、浜山は面談を行います。
桐野は医学における現状を説明するのです。
悩み抜いた結果、浜山は骨髄移植を希望します。
積極治療に前向きな福原医師たちは、勝算のある治療でもあり、最善をつくすのですが、放射線抗がん剤の大量投与により体調は最悪の状況になります。
そして一致する異色ドナーが見つけられずに臍帯血移植を実施しました。
しかし、移植片対宿主病(
GVHD)が激しく、移植した細胞を受け入れません。
浜山は苦しみながらも、耐えて生き抜こうとがんばります。
医師たちも必死の治療もむなしく、まだ生まれぬ子供の顔を見ることもできずに、帰らぬ人となりました。

 

 

第二章 とある大学生の死

川澄まりえは両親ともに医者の一人娘でした。
幼い頃、医者になりたいと言って両親を喜ばせたものの、医学部の受験は実らず、三浪しているのでした。
しかし、ようやく希望する東教医科大学へ合格し、ついに医師への道を切り開き、希望を胸いっぱいにしているのです。
ところが彼女はよく転び、体調に異変を感じます。
足が前についてこないのです。
まりえは整形外科に見てもらいますが、そこで神経の可能性があるので大きな病院へ行くように言われ、七十字病院に検査にやってきます。
対応するのは音山晴夫神経内科の医師でした。
音山も東教医大出身で、いわば川澄まりえの先輩です。
音山医師の診断の結果は「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」の疑いありでした。
医学が進歩した現代でも原因不明の難病で、治療法もありません。
生存は3年から5年と説明されます。
まりえは、呆然とし、学校へも行かず、引きこもってしまいます。
音山は同期の桐子に相談します。
また同期の副院長でもある福原にも相談するのです。
桐子は桐子のやり方で、福原は福原のやり方で、患者の相談に乗ってあげるというのですが、音山はそれらを断るのでした。
死へ向かって着実に進みつつある生命を感じながら、まりえと音山は考えるのです。
まりえは信頼できる音山に看取られて息を引き取るのでした。

 

第三章 とある医者の死

音山晴夫は同期の二人に仲間として信頼し、敬意を持っています。
しかし、この病院の院長の息子で副院長でもある福原と桐子の関係が最悪の状態であることを心配しているのです。
天才と称される福原の外科手術の手腕と冷静に分析し、患者のためにできることを総合的に判断できる桐子はともに優秀で、二人の力を合わせればなおよい医療が実現できると信じているのでした。
副院長でもある福原はこの病院の政治力も強大です。
問題児の桐子を追い出すための方策を考えています。
音山は後輩の死をきっかけに医師として様々に考えるようになりました。
自分が優秀なこの二人の力を合わせるために動くべきだという使命に燃えているのです。
ところが、突如として音山が病に倒れます。
咽頭癌でした。
音山は両親の代わりに祖母に育てられ、祖母は都会で働く医者である孫が自慢です。
しかしもう長くはなく、音山との電話を楽しみにしているのでした。
音山は元の状況から延命治療に対して消極的でした。
福原は癌の切除のため、喉を切る方針です。
癌は大きく切り取って禍根を断つというのが基本方針だからです。
しかし患者である福原は声が出せなくなることに消極的でした。
ましてや切除して改善するという保証はないのです。
桐子は音山の希望に沿った手術プランを出します。
それは咽頭部を切除するのではなく、声帯を圧迫する部分を取り除くというもので、癌の治療目的ではありません。
つまり延命治療のためではなく、患者がよりよく死んでいくための手術でした。
福原はそれを認めず、自分の方針でないと、桐子のプランの執刀医を頼まれたことも断ります。
福原に逆らう桐子と患者の音山はこの病院で協力者はおらず、桐子唯一人デコのプランを実行することになります。
福原はその時ちょうど政治家の手術の依頼を受けます。
腕の良い外科医として評判の福原の名前を聞いてのことでした。

福原の理想を追うために、名を上げるためにはもってこいの案件でした。
しかし、その当日、福原は土壇場でこの手術をキャンセルし、音山の手術に参加するのです。
音山は声を失うことなく、祖母の最後を見届け、それからまもなく亡くなりました。




 

感想

第一章からすべてきつい話です。
ここに登場する患者は全てなくなってしまいます。
その病気は決して生易しいものではなく、人間の命を奪っていくものです。
この病院の副院長、天才的な技能を持つ外科医の福原は、エネルギーの塊で、何が何でも病気と戦う、諦めたらそこで試合終了だ!という熱血漢です。
一方の桐子は、冷静に物事を考え、治らない病気なら、諦めるという選択肢もあると説きます。
二人の考え方はまさに水と油で相容れることがありません。
もうひとりの同期である音山はお人好しでどちらの意見も立てようとするタイプ。
だからこそ信頼される場合もあるのです。
桐子は「死神」というあだ名がついていますが、治療をしないと言っているのではありません。
現在の医療システムに乗っかった患者には選択肢がなく、苦しい病気と戦って、病気に負けて死んでいくことが果たして患者が望んでいることかどうかを真剣に考えています。
福原は病気と闘わない臆病者で、医師として彼を認めません。
桐子は病気と戦うのか、諦めるのかの選択は患者にあるべきだと考えているのです。
治る見込みのない患者に苦しい闘病を強いる現代の医療に疑問を投げかけ、医者は患者一人一人にもっと向かい合うべきと考えています。

・医療とは誰のためにあるものか?
・人間は誰でもいずれ死ぬということ。
色々と考えさせられる小説です。

 

個人的にきつかった本でした。
なぜなら私の息子も長らく入院しており、この小説の内容が具体的に痛いほどわかるからです。
病名を告げられたときは、頭を殴られたような衝撃を受けました。
何度も死を覚悟しましたし、妻とともに何度も泣きました。
なんでウチの子供こんな目に合わないといけないんだ。
理不尽だと思いましたね。

息子は3歳から入院生活でした。
一旦退院したものの小学校にはまともに行くこともできず、再入院。
手術も何度も行っています。
幼すぎて自分の病気のことがわからず、とても健気なのです。
病棟には同じように重い病気の子どもたちがいました。
容態悪化で病室を移る子どもたちや、そのまま亡くなった子どもたちも大勢います。
入院が長かったので、病院の生活はよく覚えていますが、健気な息子には病気のことは全然伝えていません。

治療の影響で成長できず、体も小さく、色んな経験も積んでいない息子ですが、病気と闘いぬいた息子は、様々な苦痛に打ち勝った強い子供です。
私の自慢の子供です。

今、息子とこうして一緒に生活できることがなによりの幸せです。
感謝しかありません。


 

 

 

 

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