悪魔の尻尾

50代から60代へ~まだあきらめない

真説・徳川慶喜 童門冬二

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先週くらいだったか、「狸狸亭」という看板を見かけて、「あれってなんて読むの?」って会話をしていました。
前に見たことがある気もしたけれど、思い出せない。
「りりてい」。当たり前過ぎて面白くないなあ。
「たぬきたぬきてい」。これもちょっとありえない。
しばらくしてスマホで調べたのか、息子が「ぽんぽこてい」と言った瞬間思い出しました。
そういやそんな名前だったかな。
当て字なのはまるわかりだけれど、一番しっくり来る名前だな~とも思いましたね。

 真説・徳川慶喜

通勤中に読んでいた「真説・徳川慶喜」。
童門冬二さんの本ですね。
今、NHK大河ドラマで放送している「青天を衝け」を理解するにはピッタリの本でしたね。
渋沢栄一も少しは登場しますが、当時の情勢を徳川慶喜の腹心と言われる家臣たちの座談会という形をとった小説。
なかなか面白かったです。
平岡円四郎、原市之進、黒川嘉兵衛、中根長十郎、渋沢栄一の5人に集まってもらって、「黒幕たちの見た徳川慶喜」というテーマで座談会を開いてもらっているというスタイルです。
座談会形式のため、ちょっとまどろっこしいところはあるものの、彼らの息遣いまで聞こえてきそうな近い雰囲気を感じることができました。


司馬遼太郎の影響

幕末の小説ではなんと言っても司馬遼太郎の存在が大きいですね。
翔ぶが如く」「竜馬がゆく」などは多くの人が呼んでファンになったことだと思います。
そして社会科の先生もかなり影響を受けているのかもしれません。
これまでの歴史認識では、薩長が幕府を倒して新政府を樹立したということで、どうしても吉田松陰西郷隆盛坂本龍馬勝海舟という英傑たちが活躍したイメージがあります。
しかしながらこの本を読んで随分と印象が変わりました。

幕末に活躍した人物は確かに存在しますが、それぞれ藩だの幕府だの思惑があり、その中で右に行ったり左に行ったり、つまり攘夷、開国で大きく揺れ動いた時代でした。
それぞれの英傑と言われる人たちも特別優れていた、特別に素晴らしい時代感覚を持っていたわけでもなさそうなのです。

徳川慶喜とその父斉昭

徳川慶喜は最後の武家政権の長です。
どういう腹づもりで大政奉還したのか?というのははっきりしないというのがこれまでのところ。
彼の父親は攘夷思想の塊みたいな言われ方をすることが多い徳川斉昭ですね。
この方は何から何までエネルギッシュな方でした。
頭の固い老公というイメージで捉えていましたが、ある意味世の中の変化に先んじて改革を実行した人でもあり、名君なのでしょう。
結果として、水戸藩は自壊してしまって、なんにも残らなかったという気がしますが、そして父親から厳しく育てられた慶喜はやはりこれまでの将軍とは違ってかなりの英傑だったと思います。
鳥羽・伏見の戦いで破れ、敵前逃亡したというイメージが強いため、戦に弱く、戦い抜く事ができなかったというマイナスイメージしかないため、どうしてもダメな人物と思いがちですが、当時の情勢を考えると不運としか言いようがありません。

幕末の英傑たちも今の政府もそう変わらない

最後の思ったのは幕末の英傑たちがとても優れていて、今の時代の人間がダメということはないと思うのです。
長州藩は馬鹿なくらい尊皇攘夷で公家にいいように使われた気もします。
薩摩藩はもっとしたたかで、公家にすり寄ったり、幕府を利用したりしながら、いつの間にやらスッと開国派になっています。
幕府の役職たちは、過去のしがらみからか、本来やるべきことよりも上下関係や立場を重んじ、動きが悪かった。
まるで今の政府と同じです。
そして言えるのは、英傑といえども完璧な人間はいないということ。
多かれ少なかれ失敗も多かったと思います。
誰か一人の力で成し遂げた新しい時代の幕開けではなく、みんなで喧嘩しながらもああでもないこうでもないと何度も紆余曲折しながら時代を開いてきたということ。
結局の所、外圧によってできたとも言えます。

まとめ

ざっとこんな幕末のすったもんだを、最後の将軍慶喜に使えた人たちの言葉によって語られる主人慶喜の姿の話です。

とても読みやすいので、大河ドラマに今ひとつ盛り上がらない人は読んでみるといいかもしれません。

 

 

 

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