悪魔の尻尾

50代から60代へ~まだあきらめない

謀将北条早雲 南原幹雄

北条早雲という武将は守護大名から戦国大名の先鞭をつけた人物として名高いが、案外本を読む機会がなかった。
どうしても下剋上のイメージ強くて、「悪」のイメージがあったが、そういう単純なものではないことがわかる。
時代は幕府の力が衰え、中央(京都)では権力争いの挙げ句、焼け野原となっている状況。そんな中地方がそれぞれ独自の道を歩みだすのは当然のことである。
北条早雲こと伊勢新九郎はそんな時代に生まれたが、生まれながらにして大器の片鱗があり、武術はもちろんのこと、知恵もあり、人をひきつける魅力、カリスマ性があった。優れた人物で、そういった優れた才能が力で切り取っていく時代になるということを彼は予感し、父親のように幕府の役人として小さく収まることをよしとしなかった。

伊勢新九郎の人生を見ていくとそこには斎藤道三こと松波庄五郎と重なり合う部分を感じる。二人とも小さな器に収まりきれないスケールの大きさを持ち、文武両道でなおかつ相手を上回る知恵と勇気を盛った優れた人物であったこと。どちらも結果としては国を切り取っていく人物になるのだが、優秀な人物でないと国を守ることができなかったことを考えると時代が求めていた「英雄」「英傑」だった。

相模の国を取り、関東の覇者となるまで息子の時代を必要とするが、息子の氏綱がまた優秀であった。優れた遺伝子が受け継がれ、しっかりと教育を施した結果と言える。堀越公方親子の茶茶丸とはえらい違いである。

史実として残っている部分ではないと思うが、姉の北川殿との関係や刀鍛冶の娘である伊吹との関係などもちょっと詳しくというか濡れ場の描写が生々しいのでその部分だけと切り取ると官能小説?と思えるくらいであるが、全体の分量からすると僅かではある。この本にこの部分が、はたして必要だったのだろうかどうかはわからない。
姉である北川殿の子供である龍王丸がのちの今川氏親で海道一の弓取りと呼ばれる今川義元の父親である。北川殿の夫が早くになくなったため、実権を亡父の従兄弟である小鹿氏に奪われ、それを調停する役目として新九郎は歴史の舞台に登場する。そういった意味で姉である北川殿とは深いつながりがあったと思われるが、男にしてもらったというのは創作部分だろう。
山水画の巨匠、雪舟禅師との世代を超えた強い絆もこの本の主要な内容となっているが、そんなつながりがあったのだろうか。これも創作部分なのか。小説なので別に創作があってもよいのだが、そのあたりの解説が欲しかった。
早雲には謎が多いといったが、生年が明らかでなく、どちらの説にもそれなりに理由があるが、私はこの本の1456年生まれで良いと思っている。確かに20歳そこらの若造が今川家のお家騒動の仲裁役という難しい役どころをこなしたという点に疑問があるとされているが、当時の武将は15歳位で家督を継ぐ例も普通である。家督を継ぐ以上に仲裁役、参謀というのは難しいと思うが、これだけの人物なら十分あり得ると思う。それに従来の1432年説を取ると90歳近くまで生きたことになり、当時そこまで長生きしたということ自体信じられない。前半生の多忙さや戦の多さを考えてもそこまで長生きしたとは考えづらいからである。

古い戦国大名なのでまだ謎に包まれた部分も多いが、楽しく読めた。歴史の好きな人にはオススメである。

 

 

 

 

謀将 北条早雲(上) (角川文庫)

謀将 北条早雲(上) (角川文庫)

 

 

謀将 北条早雲(下) (角川文庫)

謀将 北条早雲(下) (角川文庫)

 

 

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