年始の挨拶は気持ちよく行いたいものだ。
しかし、そうもならないのが、身内。
遠縁はいない。
近い身内は遠慮がないため、どうしてもズケズケとものを言うことで、気まずくなる。
元旦の挨拶
元旦に挨拶をする。
気持ちよく挨拶ができれば、嬉しい。
元旦早々から、嫌味を言われ、それを発端として揉める。
今まででもあった。
兄弟がいれば、兄弟にもそれぞれ家族がいる。
私も同様に家庭をもち、自分の家族がいる。
配偶者と子供。
これが私の家族の最小の単位である。
だが、同時に同居していると親もいる。
そしてその親には私を始めとして子供、つまり私の兄弟がいる。
兄弟は揉めやすいのである。
私は親と同居している。
長男だから当然という暗黙の了解のもとで同居している。
あまりに揉めると出て行きたくなる。
ここで長男である私が出ていったところで何の解決にもならない。
私にしてみれば、同居しているとはいえ、私の家庭もその中に入っているわけで、そちらも大事にしたい。
長男だから、親の家族の一員を優先しなければいけないというのは納得ができない。
こんな具合では、親がなくなったときにもきっと揉めるだろうと思う。
親の財産と言ってもほぼ家しか無い。
その家の資産を分割して兄弟で分けるとなると、どうなるんだろう。
本格的なお金持ちになると、相続で揉めることを前提として、ただの遺言書ではなく、公正証書付きの遺言書を残して、財産分与を定めているらしい。
ところが中途半端な財産があると揉めるという。
揉めるほどの財産があるわけでもないのだが、少ない多いではなく、「あいつに取られるくらいなら」という意地のようなものがあるらしい。
嫌だね。揉めたくはない。
とはいえ、今住んでいる家を売り払って、お金にし、それを分与するとなると、たちまち住むところがなくなる。
今更、住宅購入することもできないし、賃貸に住むのもきつい。
そもそも賃貸に住むというのはフロー所得がしっかりある世代になるが、定年も近づいているとなると、きついのである。
というようなあまり明るくない話題を持ち出したが、正月の揉め事で、のんきに構えている私にも、少々真剣に今後の身の振り方を考えねばならないと感じる。
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