悪魔の尻尾

50代から60代へ~まだあきらめない

お金の流れでわかる世界の歴史 大村大次郎 その2

台風が近づいています。
天候が悪いですね。

職場も違う意味であれ気味でした。

気を取り直して、「お金の流れでわかる世界の歴史」。

前回に引き続き、2回目の投稿になります。

まだ3章なんですね。



 

tails-of-devil.hatenablog.com

 

 

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第3章 モンゴルとイスラムが「お金の流れ」を変えた!

この章のポイントになるイスラム教についてちょっとだけ勉強したことです。
宗教の世界のことは良くはわかりませんが、重要なことなので。

 

イスラム

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一神教多神教があり、ユダヤ教キリスト教イスラム教といったものは一神教になります。
一神教というのはこの3つだけで、根本的には同じなのです。
ちなみに、ユダヤ教キリスト教イスラム教というのは古い順に並べているのですが、唯一の神はいずれの宗教もヤハウェ(エホバ)で同じ神なのです。
エスムハンマドマホメット)も預言者ですが、神ではありません。
ヤハウェという神の名を口に出すことはなく、聖書の中で神との対話で語られる場合の日本語訳では「主」なっているようです。

オリジナルがユダヤ教
それを利用して支配したヘロデ大王の時代に、不満を持つ人々が増え、ユダヤ教に異を唱えたのがイエスでした。

エスの死後、弟子たちにより広く広まったキリスト教でそれを政治的に利用してきたのがローマ帝国でした。

6世紀に生まれたムハンマドは、メッカに生まれました。
彼は、瞑想中に不思議な体験をしており、それが神の言葉を代理として話すということなのでした。
ムハンマドはこうして宗教グループのボスとなったのですが、異端であり、迫害を受けます。
そこでメッカからメディナという街に逃れていきます。
当時はムハンマドの率いる宗教グループは本当に些細な新興宗教グループでしたが、引っ越したメディナでものすごい勢いで信者を増やしていくのです。

イスラム教は、ユダヤ教キリスト教に続く唯一神を崇める一神教の中では一番後発です。
それだけに、信者を増やすために一番よくできたところもあるのです。

まずは、当時はローマ帝国末期で税収を上げるために重税を課していました。
領民たちはそれに苦しんでいたのですが、「イスラム教に改宗すれば、人頭税を免除する」と呼びかけました。
重税に苦しんでいた領民たちは続々と改宗したのでした。

当時のアラブ人たちは部族間の対立が絶えなかったのですが、ムハンマドの宗教は部族を越えてまとまっており、急速に信者を増やしていきます。
追い出されたメッカも含めアラビア半島を中心に広がっていきます。
国を持たずまとまりのないアラブ人たちはイスラム教という宗教を得て、一つのまとまりを見せていきます。
イスラム帝国の誕生です。
イスラム帝国は整復した土地に対しても寛大な措置を取ります。
しかも占領地から撤退するときには、収められた税金を還付したと言います。

ローマ帝国が滅び、世界経済は、イスラム世界の強い影響を受けていきます。


ちなみに新しいイスラム教は、改宗しない人、つまりキリスト教ユダヤ教の人たちを手荒く扱ったりはしませんでした。
彼らが厳しく改宗を求めたのは「多神教」の人々でした。

ちなみにムハンマドの死後にはやはり、様々な権力闘争により弱体化します。
それにはやはり税のとり方に問題がありました。
イスラム教徒からも人頭税をとったり、一部の権力者の私腹を肥やすようなことがあり、分裂していきます。

 

モンゴル帝国

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アジアに目を向けると、13世紀に急速に現れたモンゴル帝国
しかしながら、その素養ははるか昔から中国大陸には存在しているのです。
モンゴルの遊牧民は騎馬軍団による圧倒的な武力を誇る民族なのです。
中国の歴史には北方からの侵略を防ぐというのがいつの時代にも必要な政策で、万里の長城もそのために築かれたものです。

それだけ強力な戦闘力を誇るモンゴルですが、彼らは遊牧民で濃厚はせずに、土地に対しての執着があまりありません。
また長らく部族ごとにバラバラで、古くから圧倒的な武力を誇っていましたが、大きな軍団とはならなかったため、それほど巨大な脅威とはならなかったのです。

チンギス・ハーンはまとまりのない各部族を統一し、一つの国家を作り上げました。
元々各部族が持つ高い武力が一つになったので、あっという間に周辺の国々を支配下に収めてしまいます。

モンゴルを野蛮な騎馬民族として片付けられることが多いですが、著者はそれだけではないと指摘します。
彼らは行政機構や文化で中国や西洋、中東に比べて遅れていたことを自覚していたのです。
そのため、自分たちの文化を占領地に押し付けることなく、占領地の文化を容認し、積極的に取り入れるという政策をとっていたのです。
また遊牧民であるため、土地に対する執着がほとんどないため、そこに大量の自国民を入れたりすることもありません。
占領地の当地も大軍を駐留させることもなかったようで、朝貢的な税さえ払えば、以前と同じような生活ができたのでした。

ただ、こんな柔和な政策と思われますが、反乱する勢力に対しては容赦ない打撃を加えます。
精鋭を集めて、一極集中的に圧倒的な武力で叩き伏せ、皆殺しにしてしまいます。

このような硬軟織り交ぜたやり方でモンゴル帝国は巨大な支配地を有するようになりました。

モンゴル帝国では宗教に対する介入もほとんどなかったと言います。

そのため、占領された土地の人々はある意味安心してモンゴル帝国の支配を受け入れることができたとも考えられます。

モンゴル帝国は経済面では流通革命を起こします。
これまで商人たちが他国と物品の遣り取りをすることは利益を生むことがわかっていましたが、道中の危険はつきものでした。

モンゴル帝国イスラム商人と結びつくことによって、彼らを保護し、大いに活用したのです。
フビライ・ハーンの時代には関税を一元化し、税率も非常に安かったのです。
ヨーロッパ、中近東、東南アジア、そして中国にまたがる地域はモンゴル帝国の広大な支配のおかげで自由な交易が行われることになりました。

マルコ・ポーロの「東方見聞録」はモンゴル帝国時代にかかれたユーラシア大陸旅行記ですが、イタリア人の商人の子供であったマルコ・ポーロが広大な地域を旅することができたのは、モンゴル帝国がそれらの地域の治安を維持していたことの証拠でもあります。

 

さて優れた統治を行っていたモンゴル帝国ですが、わずか100年ほどで滅んでしまいます。
急速に拡大した帝国は、チンギス・ハーンという英雄やフビライ・ハーンという強力な指導力、支配力を持った人物がいてこそ成り立つ仕組みであり、彼らが亡くなったあとはお決まりの分裂で弱体化していきます。
秀吉の死後の豊臣家が崩壊したのと似ていると述べています。

 

オスマン・トルコという経済大国

モンゴル帝国が滅んだあと、世界経済の中心に躍り出るのがオスマン・トルコです。
1299年トルコ付近のオスマンという小さな豪族から発展してきてできた帝国です。

1453年にはビザンツ帝国の首都コンスタンチノーブルも攻略し、ローマ帝国の末裔は完全に滅びました。

オスマン・トルコは広大な土地を支配し、20世紀まで600年も続きます。
イスラム教の国家であり、イスラム帝国が没落したあと勃興した国で、初期のイスラム帝国の性質を受け継いだ大帝国でした。

世界の歴史ではあまり大きく描かれることのないオスマン・トルコですが、この時代世界に大きな影響を与えたのはこの国で、世界経済の中心でもありました。

西欧が大航海時代に乗り出すきっかけとなったのは、オスマン・トルコを避けてアジアと交易がしたいからと言う理由なのです。

ヨーロッパの国々はオスマン・トルコの強大な軍事力に対抗できる力はありませんでした。

オスマン・トルコが強大な軍事力を支えていたのは経済力でした。
優れた徴税システムによりスムーズに多額の税を徴収することができたのです。

西欧諸国などは封建制度でしたが、オスマン・トルコは不完全ながら、中央集権制度でした。
32州ある州のうち、23州が直轄、帝国が派遣した官僚が徴税していました。

国家は強い財力を持ち、常備軍として「職業軍人」を編成することができました。
封建制度の国が持つ軍隊とは規模も練度も遥かに違うものでした。

そして経済的にはその領土が経済的には非常に重要な要所。
首都コンスタンチノーブルは世界の物資の集積地のようなもので、ありとあらゆる物が集まるところ、世界経済の中心地でした。

イスラム商人が活躍したのですが、彼らの果たした役割は多大なものがありました。
アラビア数字がその一つです。
そして複式簿記
大詩人のゲーテは「人類最高の発明は複式簿記だ」と言ったとか言わなかったとか。


第4章 そして世界は、スペインとポルトガルのものになった

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中世まではヨーロッパは経済後進国でした。
世界経済の中心は中国とイスラム勢力です。

中国は圧倒的に文明が進んだ超大国であり、イスラム勢力は世界経済の大動脈と言える地中海をおさえていたのです。

当時の中国人の一人あたりのGDPは西洋人のそれよりも30%と高いと算出する研究もあるらしいです。

そんな中、経済後進国のヨーロッパ諸国が台頭してくるのは大航海時代の後だと言います。

大航海時代に、スペインやポルトガルは、アメリカ大陸やアフリカ航路などを開拓していきます。

なぜ大航海時代が開かれたのか?
それは交易の中心となる地域がイスラムの強大な国家オスマン・トルコ帝国がおさえていためです。

アジアやアフリカとの交易をするためにはどうしてもその強大なオスマン・トルコを通らなければならないのですが、それを避けるために、いわば「遠回り」してでも行ける方法を見つけるためなのです。

当時の西欧諸国では、アジアからもたらされるスパイスの需要が非常に高かったのです。
スパイス(香料)は西欧料理を画期的に進歩させた魔法の調味料でした。
それを得るためにオスマン・トルコを通して購入する場合、非常に高価になってしまうのです。
コショウ1gと銀1gが同じとされていたのです。

強いオスマン・トルコと戦うだけの武力はなく、遠回りしてでも、オスマン・トルコを通らずに独自のルートを開発したいという願いから、大航海時代は始まるのです。

 

新興国ポルトガル
イベリア半島の西端にあるポルトガルは元々カスティリア(スペイン)の一部でしたが、その土地の領主だったアフォンソ1世イスラム勢力を駆逐して力をつけ、ローマ教皇の裁定によりカスティリアから独立したのです。

しかしスペインから独立したので、仲が悪く、陸地はすべて隣国のスペインと接しています。
自由な移動を求めて海路へと向かうのです。

新興国ポルトガルが目指したのがアフリカでした。
そして強大なオスマン・トルコの一部であったアフリカ大陸の一部を攻撃し、セウタという都市を陥落させました。
自身をつけたポルトガルエンリケ王子という公開に強い関心があった人物を中心に海洋技術が飛躍的に進歩しました。

ポルトガルはアフリカを少しずつ植民地化し、金を大量に入手するなどで国力を増強させました。

これを見ていた隣国のスペインも海洋進出に乗り出します。

ヨーロッパの諸国がアフリカの植民地化へ乗り出していくのでした。

 

大航海時代の主役スペイン

古来から鉱物を算出し、農地としても恵まれたときであったスペインは、地中海と大西洋にも面しており、アフリカ大陸は直ぐそばにあります。

これ以上ない条件の国土を持っているのでした。

スペインは巨大な国として大航海時代の主役へと躍り出ます。

大航海時代ではポルトガルに遅れを取っていたスペインですが、コロンブスのスポンサーとなって西インド諸島を発見します。
当時インドを探していたのですが、インドではなく、アメリカ大陸だったのです。
そしてスペインはアメリカ大陸一番乗りということで、アメリカ全土を支配してしまいそうな勢いでした。

大航海時代を先行していたポルトガルは面白くないため、ローマ教皇の力を借りて、命令を出してもらいます。
アメリカ大陸はスペインとポルトガルの二国で半分ずつ分け合え」というのです。
現代人から見ればとんでもないことを聖職者である教皇が言うものですね。

現地人である先住民たちは本当にいい迷惑でした。

スペインがアメリカ大陸、南米などで金銀を大量にヨーロッパへ持ち帰りました。
それによりインフレになりますが、大量の金貨、銀貨が流通するようになりました。

被害を受けたのは現地の先住民(インディオ)たちです。
スペイン人たちはアメリカでキリスト教を広める目的もあり、キリスト教に改宗すれば徴税権を与えるという方法を採ります。
キリスト教の布教」という名を借りただけの略奪ですね。
多くの先住民たちは奴隷として働かされ、インディオの全人口の90%が死滅したとされています。
ひどい話です。

そして黒人奴隷貿易というのも大航海時代がもたらしたものです。
欧米諸国は奴隷によって潤ったのです。
黒人奴隷を国試した農場経営によって経済発展を遂げたのです。

強制連行されてきたのではないと言われています。
黒人奴隷は黒人自身の手によって奴隷化され、売買されていたのです。

スペインが主に黒人奴隷を購入していました。
スペインに黒人を販売していたのはポルトガルで、ポルトガルは黒人の部族から黒人奴隷を「仕入れ」ていたのです。

当時のアフリカでは部族間の対立が絶えず、負けた側は勝った側の奴隷となるのでした。
そういう風習をポルトガルは利用したのでした。
黒人部族のダホメーはポルトガルに奴隷を売り、その対価として銃などの武器を入手し、周辺の部族を支配していきます。
そこで得た奴隷をポルトガルに売って、また武器を得るということを繰り返していました。
すごい話だと思いつつも、日本でも戦国時代には、南蛮貿易で日本人奴隷が輸出されていたと言います。


黒人奴隷は他の人種よりも屈強で重労働に絶えうるので、スペイン人のサトウキビ農場経営者たちは、黒人奴隷を強く求めたのです。

結果、アメリカ大陸には黒人奴隷が大量に「輸出」されることになりました。

 

大航海時代の前半はスペインが主役でした。
その中心にあったのは、「無敵艦隊」で海軍力でついに強敵オスマン・トルコの海軍に打ち勝つことができたのでした。
陸はともかく、海上では自由に交易ができるスペインはアメリカ大陸で収奪を繰り返したのですが、徐々に陰りを見せ始めます。

新興のイギリスやフランスに押されるようになっていくのです。

ヨーロッパ内でのフランスやイギリスなどと繰り返される戦争やオスマン・トルコとの戦争をくりかえし、次第に疲弊していきます。

また、強い無敵艦隊を維持するための費用は莫大なもので、財政を悪化させました。

カトリックだったスペインですが、宗教改革によりプロテスタントが多くなってきたイギリスやフランスとの衝突も増えてきたのです。

財政悪化の一途をたどるスペインは、その解決策として最悪の納税システムを作りました。
消費税の一種です。
当初は一部の商品にしかかからなかった消費税ですが、次第に課税対象が拡大し、食料品や生活必需品にも課せられる事になりました。

消費税は景気を交代させますが、当時のスペインが行った消費税はひどく、取引ごとに課税されます。
製造者から卸売に販売するときにも、卸売から小売に販売されるときにも、小売から消費者に販売するときにもかけられたのです。

物価が上がり、スペインの品物は高く、輸出できずに、安い輸入品が入ってきます。
国際収支は悪化し、大量に持ち込まれたアメリカ大陸からの金銀も借金の返済に当てるのに精一杯の状況でした。

無敵艦隊と言っても専用の軍艦ではなく、基本的には商船。
それらを圧倒的に持っていたスペインですが、財政の悪化により徐々に沈んでいったのです。

まさに無敵艦隊は撃沈されたのではなく、自らクビが回らなくなって沈んでしまったのですね。

 

 

本日はココまでにいたしとうございます。

 

 

次回以降~

第5章 海賊と奴隷貿易で”財”をなしたエリザベス女王

第6章 無敵のナポレオンは”金融戦争”で敗れた

第7章 「イギリス紳士」の「悪徳商売」

第8章 世界を動かした「ロスチャイルド家」とは?

第9章 明治日本の”奇跡の経済成長”を追う!

第10章 「世界経済の勢力図」を変えた第一次世界大戦

第11章 第二次世界大戦の”収支決算”

第12章 ソ連崩壊、リーマンショック 混迷する世界経済

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