元国税局の大村大次郎さんが書いた本ですね。
非常に勉強になる本です。
多くのブログなどでも紹介されていますね。
ちょっと書き始めて、長くなりそうなので、何度か分割していきますね。
序 「お金の流れ」で読み解くと、「世界史の見え方」はガラリと変わる!
歴史というのは権力者の流れや戦争での勝者敗者が中心となって語られることが多いですが、本当は歴史を作ってきたのは経済、いわばお金です。
確かに歴史を見れば、その背景にはお金の問題が絡んできます。
殺人事件を見ても、個人的なものは私怨などで金銭的な理由が薄いものがありますが、巨大な犯罪となると、その裏には必ず巨大な利権やお金が絡んでいるものなのです。
国家の盛衰も戦争のきっかけとなるものも「お金」だということですね。
お金、経済という点に視点を変えて見ていくと、世界史の見え方そのものが大きく変わります。
第1章 古代エジプト・古代ローマは”脱税”で滅んだ
古代エジプトが栄えたのは優れた徴税システムが会ったからだと言います。
国家盛衰のプロセスは古今東西だいたい似たような経緯をたどります。
その典型的な例として古代エジプトを上げております。
エジプトが3000年もの間続いたということに対して、歴史家は様々な意見を述べますが、著者は優れた徴税システムが機能していたからだと考えています。
税が高いと不満が高まり、少ないと国家運営ができないのです。
不公平な税も不満になりますし、やり方が悪いと間で抜く人間が増えてしまい、国の収入が減ってしまいます。
いつの時代でも国家を維持していくために必要な要件として、「徴税システムの整備」と「国民生活の安定」の2つを上げています。
エジプトが優れていたのは徴税する人間が国家の官僚だったということ。
今では当たり前のようですが、古来徴税人は請負制によるものが多かったと言います。
国家から徴税権を得て(徴税権を買うんですね)、決められた額の税金を国に収めるのです。
となると、請負の徴税人は、税を多く搾り取れば取るだけ自分の収入になるわけです。
エジプトでは官僚が国から給料をもらい、決められた税を国民から徴収して収めるというシステムでした。
また税務調査することもできたそうです。
現代社会と変わらない仕組みを持っていたんですね。
しかしながら、優れた官僚機構も年月が経てば腐っていくもの。
これも典型的な国家盛衰のパターンです。
徴税がうまく行っている間は国は繁栄し、官僚が腐敗すると財政が傾くのです。
そうなると財政を立て直すために重税を課し、民の不満が大きなパワーとなって国を打ち倒すエネルギーとなったりするのです。
3000年も栄えたエジプトもそのパターンからは逃れることはできませんでした。
古代ローマも1000年以上栄えました。
王政時代
共和政時代
帝政時代と
大きく分けると3つの時代に別れます。
どの時代でも、市民の権利や自由を重んじる国風がありました。
帝政ローマ出会ったときも、市民の指示を得て選ばれるという建前がありました。
繁栄した大きな理由はこの自由です。
市民の自由な経済活動が繁栄の大きな要因となっています。
共和政時代のローマでは、ローマ市民は直接税を払っていませんでした。
最大の財政負担である軍事費も、ローマ市民な皆兵制で、かつ武器なども自前で調達する決まりだったそうです。
ある意味小さな政府の究極の形かもしれないですね。
しかし、ローマ帝国が周辺の国と戦争を拡大するようになると、傭兵軍を作るようになり、経費がかかるため税を必要とします。
そのために設けられたのが「戦争税」
一種の財産税で、財産を申告し、それに応じて課せられる累進課税だったそうです。
金持ちほど高額な税を収める必要がありました。
この戦争税には還付があり、ローマ軍が戦争に勝って、戦利品があると収めた税金に応じて還付されるのです。
ローマ軍が勝ち進むと戦争税が廃止され、征服地からの税がその代わりとなりました。
征服地の税は、ローマのやり方を押し付けず、その土地のやり方で徴収したと言います。
うまく徴税することができ、広大な領地を統治できたのです。
強硬なやり方では反発を生むため、それを抑えるのにもパワーが必要ですよね。
硬軟織り交ぜた柔軟なやり方でスムーズに税を徴収することは、広大な土地を治める上で重要なポイントです。
しかし、ローマ共和政も永遠には続きません。
占領地からの貢物などに味をしめたローマ市民はさらなるものを求めるのです。
まあ、平和と栄華にあぐらをかいて「愚民化」が起きたということでしょうか。
ローマは、属州に対して「収穫税」を課します。
そして「収穫税」は徴税請負人に委託して徴税するのです。
徴税請負人は予めローマ政府からその権利を多額のお金で買い取るので、一時的にローマ政府は収益が増えますが、長い目で見ると徴税請負人という「権力」を作り上げることになります。
徴税請負人は莫大なお金を予めローマに納付する必要があるので、結託して会社組織のようなものを作りました。
会社組織の始まりともいわれています。
そして当然のことながら、収めた金額以上の税を得ようとします。
そのため徴税請負人の徴税は過酷なものとなりました。
やがて徴税請負人は現地で徴税せず、現地の徴税請負人を雇います。
徴税権を購入して、もとが取れたら、楽をして儲けようということなのでしょうか。
自ら税の徴収を行わず、現地にいる人を徴税請負人として雇うのです。
自分たちは、現地の徴税請負人から徴税した税金を納めればよいのです。
つまり中間マージンを抜くというやり方です。
なんかどこかの業界を見ているようで背筋が寒くなりますね。
属州の現地人はさらなる過酷な税に苦しむことになります。
反乱を起こす属州が出てくることになり、共和政は終わりを告げ、帝政となっていきます。
機能しなくなった共和政には強いリーダーが必要で、執政官であったアウグストゥスは徐々に自分の権限を強め、ついに皇帝に上り詰めました。
アウグストゥスは徴税請負人を通さずに、政府が直接、属州に対して徴税を行えるよう改革しようとします。
徴税システムの簡素化と公平化を目指しました。
悪名高い皇帝ネロも徴税の安定化のために努力したのです。
これらの努力により、徴税は以前よりは安定しますが、徴税請負人を完全に撲滅することはできず、彼らの腐敗もずっと続いている状態でした。
税収不足のローマ政府は通貨の増発を行いました。
純銀で作られていたデナリウス貨は銀の含有量がドンドン減り始め、初期のデナリウス貨のわずか5%程度に落ちたと言います。
銀の価値に裏打ちされた貨幣の信用はドンドン落ちていっているということですね。
そのため、激しいインフレ(ハイパーインフレ)が起こり、物価は1万倍に。
ローマ時代にもハイパーインフレが発生していたのです。
ディオクレティアヌス帝は徴税請負人による中間搾取を排除しようとします。
政府自らが徴税に赴くのです。
ディオクレティアヌス帝の税制改革は一時的には成功しましたが、長続きしませんでした。
その理由は、政府の徴税のやり方では、巨大な官僚組織が必要で、この官僚組織を維持するために多額の税収が必要だったのです。
いわば、大きな政府になったんですね。
そしてご多分に漏れず、官僚組織は、巨大化すればするほど、腐敗する可能性が高くなるのです。
お金持ちほど、賄賂を使って税の免除を受けたり、安く済ませたりすることができたのです。
一部の裕福なものだけがより富んでいき、市民の生活は困窮していきます。
貧富の差が激しくなっていくのですね。
第2章 ユダヤと中国 太古から”金融”に強い人々
ユダヤ人とお金に纏わる話はたくさんありますよね。
「ユダヤ大富豪の教え」という本もとても勉強になる本だと言います。
しかしユダヤ人が国を作って世界の覇者となったというのは全くありません。
なぜならユダヤ人は国を持たない放浪の民だったからです。
つい最近まで。
しかし、ユダヤ人は放浪の民として世界的なネットワークと金融における考え方、知識などで世界の経済を常にリードしてきました。
経済大国の陰にはユダヤ人がいるといいます。
ユダヤ人を語るには彼らの思想的な、哲学的な理解が必要かもしれません。
ユダヤ人の歴史は古く、4000年に及ぶとされています。
ユダヤ人は、「旧約聖書」の中では、人類の祖であるアダムとイブの子孫だとされているのです。
紀元前17世紀頃、ユダヤ人は遊牧などをしていたのですが、エジプトへ移住。
しかしエジプトで奴隷にされたために、預言者モーゼに導かれてエジプトを脱出し、パレスチナに古代イスラエル王国を建国したのが紀元前1260年頃だと言います。
3代目の王ソロモンの時代には大いに繁栄したが、ソロモンの死後、国は北イスラエル王国とユダ王国に分裂します。
北イスラエル王国はアッシリア帝国に滅ぼされます。
ユダ王国も新バビロニア王国に滅ぼされました。
ユダ王国のユダヤ人は、奴隷としてバビロニアに連れて行かれます。
これが「バビロン捕囚」と言われるものです。
その後、紀元前538年、ペルシャ帝国が覇権を握ったときに、ユダヤ人はパレスチナへの帰還が許されます。
ユダヤ人はエルサレム神殿を再建し、ユダヤ教による法を定めます。
紀元前後にローマ帝国の後ろ盾を得たヘロデ王により、イスラエルにヘロデ王国が作られます。
しかしヘロデ王はユダヤ人でしたが、ユダヤ民族の支持はあまり得られなかったのです。
そこに登場したのが、イエスという若者でした。
後に、不満を持つ人々を救済する偉大な宗教家イエス・キリストとなります。
ヘロデ王の死後、ローマ帝国とユダヤ民族との対立は激しくなり、ユダヤ戦争になります。
紀元70年にエルサレムが陥落してユダヤ人はまたしても国を持たない流浪の民となるのです。
流浪の民となったユダヤ人はいろいろな土地で暮らしますが、移民ゆえの迫害を受けます。
ユダヤ人は受け入れてくれる土地を求めて世界中をさまようのです。
放浪の民、ユダヤ人。
お金儲けのうまさはこの放浪から生まれたと考えられます。
放浪するということは、各地域の情報をたくさん持っているということですl.
また世界各地に同朋がいるので、ネットワークが作りやすかったのです。
ユダヤの商法にとって、この世界的ネットワークが書くべき武器となっているのです。
また「一刻に定住しない」「母国がない」ということは、あらゆる国を客観的に眺められるという利点があります。
インドの計算方法をヨーロッパに伝え、アラビア数字を普及させたのはユダヤ人と言われています。
珈琲やたばこをヨーロッパに広めたのも、ユダヤ商人でした。
そして金融システム、現代の世界金融システムを構築してきたのは、ユダヤ人なのです。
太古の時代から金融業、金貸し業に長じていいたとされています。
両替、為替という分野にも長じています。
放浪の民だったユダヤ人はありとあらゆる貨幣に通じており、為替の相場などがない当時では、それらを行う両替は必要なことで、大変な利益を生みます。
両替と同時に金貸しも行っています。
当時のユダヤ教でも金貸しは禁じられているのですが、それは国内、つまりユダヤ人に限ってのこと。
諸外国の人々に対してお金を貸すことは黙認されていたと言います。
そうしてユダヤ人の中には莫大な富を持つものが出てきたのです。
「お金は処世のための、合理的な道具である」
ユダヤ教にその要因があるとされています。
お金が卑しいもの、汚いものと考える宗教や思想が普通でした。
ユダヤ人はお金を道具と考え、お金そのものを汚いとは思わないのです。
多くの宗教がお金に対してマイナスのイメージがあるのに対して、非常に柔軟に考えているのがユダヤ教であり、ユダヤ人です。
「富は要塞であり、貧苦は廃墟である」
「金は悪ではなく、呪いでもない。金は人を祝福するものである」
「人を傷つけるものが3つある。悩み、諍い、空の財布。そのうちからの財布がもっとも人を傷つける」
放浪の民のユダヤ人は各地で迫害を受け、生きていくためには「きれいごと」では済まされないのです。
土地を持たないユダヤ人にとって、お金こそが命をつなぐ道具なのです。
ユダヤ人が他の民族に比べてお金に対する執着心が強くなるのもうなずけます。
ただ、お金に対する執着心から、ユダヤ人を嫌う人も多く、ユダヤ人の中にもそういう習性を忌み嫌う人もいます。
カール・マルクスはその最たる例で、彼はユダヤ人の思考を具現化したのが資本主義だと断じています。
アジアに目を向けてみます。
中国では、秦の始皇帝は中国全土を統一します。
そして貨幣の統一化も図るのです。
すでにこの時代に中国では貨幣は作らえていたのですが、各地でバラバラでした。
それを中国全土で統一したのです。
秦が滅んだ後の中国でも貨幣は作り続けられます。
多くのアジア諸国ではこの中国の貨幣を真似て作られますが、中国は貨幣の輸出も盛んに行い、アジア諸国の通貨の供給を担います。
北宋の時代に作られた宋銭は日本でも大量に輸入され、これにより貨幣経済がようやく浸透してくるのです。
中国は、通貨の供給を通じて、アジアの中央銀行としての役割も果たしたと言えます。
ちなみに中国では鋳造の技術が西洋よりも進んでおり、貨幣の大量生産が可能だったと言います。
大量に銅が算出されたのですが、そのまま輸出するよりも貨幣に変えて輸出したほうがより付加価値が上がって利益があるため、銅銭として大量にアジアの各地へ輸出したのでした。
また中国では為替銀行の仕組みがすでに7世紀頃に存在したようです。
1147年にイタリアにできたのが世界最初の為替銀行とされていますが、それよりも300年も前に中国でこれらの仕組みを使っていたわけです。
宋銭をアジア各国に供給した北宋は世界で初めて紙幣をつくった国でもあります。
当時の通貨は物理的に重いので、高額取引には不便でした。
「交子」と呼ばれる預り証を受け取って、当時よく使われていた通貨の鉄銭を預けるのですが、いつでもその「交子」を持っていけば銭と交換できることから、「交子」自体が通貨として用いられるようになったのです。
しかし「交子」を作る側にも悪い人がいるもので、無茶な発行をする悪徳業者も出てきます。
北宋政府は公的な「交子」を発行することにしました。
この「官交子」こそが世界最初の政府による紙幣の発行です。
一定の鉄銭を準備することによって紙幣を発行することにしました。
つまり「鉄銭本位制」の通貨発行ということになります。
この仕組と同じことを後世イングランド銀行が行います。
金の引換券としての通貨を発行したのです。
金本位制ですよね。
一定の金を準備金として用意しておけば、その準備金に応じて交換券(紙幣)が発行できます。
この発行された紙幣が準備された金よりも遥かに多いので、その差額は収入となります。
本日はここまでにいたしとうございます。
次回以降~
第3章 モンゴルとイスラムが「お金の流れ」を変えた!
第4章 そして世界は、スペインとポルトガルのものになった
第6章 無敵のナポレオンは”金融戦争”で敗れた
第7章 「イギリス紳士」の「悪徳商売」
第8章 世界を動かした「ロスチャイルド家」とは?
第9章 明治日本の”奇跡の経済成長”を追う!
第10章 「世界経済の勢力図」を変えた第一次世界大戦
第11章 第二次世界大戦の”収支決算”