悪魔の尻尾

50代から60代へ~まだあきらめない

お金の流れでわかる世界の歴史 大村大次郎 その4

 

さてシリーズ第4弾となります。
偉そうにシリーズなんて言っていますが、大村大次郎さんの本の内容をまとめながら、ところどころ個人的な所感も入って書いています。


このあたりからは近代史になり、本来は歴史の授業などで時間を割いてでも教えるべき重要なところだと思います。

しかし残念ながら、これらの近代史に関しては割とサラリと流しているという印象です。
日本史においても戦前、戦中、戦後というところは、これからの世の中を考えていくために大変重要な時代だと思うですが、全然足りていないなと言う印象です。

古い時代から順番に学んでいくと、終わりの方になり、時間が足りないということもあるのか、それともこの時代のことは、学校の先生にとって教えづらい一面があるのかと思ってしまいます。


ココまでの流れ

 

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第9章 明治日本の”奇跡の経済成長”を追う!

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日本は300年近く世界との交流を避けてきました。
鎖国というもので、一部の国と貿易はあるものの、開かれた国ではなかったのです。
大航海時代フランス革命、あるいは産業革命といった世界のトレンドからは明らかに遅れたままの状態になりました。

世界史という中で日本という国はほとんど登場しません。
19世紀に日本がようやく開国したときも、日本という国を重視したわけでもなく、中国の属国くらいにしか思っていないのでした。

アジア、アフリカ、北米大陸南米大陸と植民地を次々に獲得していく西欧の列強。
さらには、歴史があり、文化的にも経済的にも豊かだった中国が、アヘン戦争でコテンパンにやっつけられてしまうのです。

属国くらいにしか思われていなかった極東の島国日本は、大して魅力的な国でもなかったわけです。
中国を簡単に打倒した西洋諸国は、チョンマゲ頭で刀を腰にさす武士と呼ばれる支配階級が治める国、日本は変わった文化を持つ小国くらいにしか思っていないのでした。

小国日本は、開国から半世紀で大国清との戦争に大勝し、さらには巨大な国土を持つ強国ロシアとの戦争にも勝ったのです。

明治維新から第二次世界大戦までの経済成長は実質GNPで約6倍、鉱工業生産で約30倍、農業生産は約3倍にもなっています。
このような急激な成長を遂げた国はどこにもありません。

戦後の日本の高度成長を「奇跡の成長」とよばれたりしますが、実はその成長の基礎となるのは戦前からあったということになります。

産業革命を日本より100年も前に成し遂げた欧米と比べて、日本には国際競争力はありません。
列強は、狡猾な方法でアジア諸国を飲み込んでいっていました。

日本も不平等条約によって国際的には圧倒的に不利な状況でした。
そんな状況にも関わらず、短期間で世界の経済にその存在を示すほどの爆発的な経済成長をすることができたのです。

統一政権が収める中央集権国家としての明治政府が果たした役割は大きいと考えられています。
国の力を集中させることができたのです。
他のアジア諸国封建制度からの脱却が図れず、強力な中央集権国家が形成できなかったのとは対照的です。

前回お伝えしたように、狡猾な西洋諸国は、植民地支配をする上で、各部族などの対立を煽ることによって、統治していくのです。

日本も幕末、イギリス、フランス、アメリカといった国がそれぞれの思惑を持って日本の内戦に関わってきました。
しかし諸外国のように長引く内戦状態とはならず、統一政権としての明治政府が誕生したのです。

強力な中央集権国家で、外国から学ぶことをいとわず、国策は「富国強兵」。
不利な不平等条約をものともしない輸出力を持っていきます。

開国して間もないよちよち歩きの明治政府でも、生糸は国際競争力のある商品として大量に輸出され、日本の経済を支えていくのです。

そしてインフラ整備もとても早かったのです。
明治5年には鉄道を走らせるまでになっているのです。
しかも自力で鉄道を作るのでした。
アジアの他国にも鉄道はありましたがそれらは、列強の資本と技術で作られ、運営も彼らによってされていました。
日本は技術的には外国からのものでしたが、建設自体は日本であり、運営も日本が行ったのです。

著者は、明治政府の功績を上げています。
私など、およそ半世紀前に教科書で習ってきたのも、薩長が素晴らしく、明治政府こそが現在の日本を作ったとされています。
モチロンその功績を認めないわけではありませんが、私は日本人には、江戸時代にすでにその素養はあったのだと考えています。
もちろん武士たち、遅配階級の人の力という意味ではありません。
江戸や上方の商人、町人たちの文化レベルはかなり高かったのだと思うのです。
文字文化を持たない国、あるいは文字は一部の上層階級だけのものとして、文盲が多かった国では、いざ国が大きな転換で舵を切ったとしても、それに国民がついてこれるわけがありません。
日本では義務教育こそ江戸時代にはない制度でしたが、町人たちも読み書きを習わせるなどすでにかなりの識字率だったのです。
未だに傀儡政権で自国の真の独立をなし得ていないアフリカ諸国などは、文字が読めない人が多いのです。

いずれにしても極東の小国に過ぎなかった日本は”奇跡の成長”を成し遂げたのです。

第10章 「世界経済の勢力図」を変えた第一次世界大戦

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第一次世界大戦が起きたきっかけ、政治的に求めるとはっきりしませんが、経済、お金の流れで見てみると、その原因がはっきりすると言います。

当時のヨーロッパでは、4大強国である、イギリス、フランス、ロシア、ドイツが帝国主義で、互いに競争している状況でした。

その中でドイツは遅れてきた列強という立場でした。
ドイツは、州に分かれており、その一つであるプロイセンがフランスに戦争で打ち勝ち、ドイツの中心となっていきます。
そして1871年になってようやくドイツは統一されることになります。
日本が1867年に大政奉還し、翌年1868年に明治維新ですので、ドイツと日本とは国際的にデビューするのは同時期とも言えます。
その後のドイツはウィルヘルム2世が帝国主義を推進し、世界の工業国へと発展していきます。
ドイツが統一した頃、世界の工業製品のシェアはイギリスが32%に対し、ドイツは13%でした。
しかし1910年にはドイツはイギリスを上回ります。
そしてドイツはヨーロッパの強国となったことで、周辺国からの妬みを買うのです。
つまり、第一次世界大戦は、イギリス、フランス、ロシア VS ドイツと言う戦いです。
終盤になってアメリカが連合国側に参戦するので、4カ国が寄ってたかってドイツを叩いた戦争と見れなくもありません。

ドイツは遅れて列強の仲間入りになりましたので、その遅れを取り戻そうと必死に努力しているのでした。
ドイツはオスマン・トルコ帝国と交渉し、バグダットとコンスタンチノーブルまでの鉄道の敷設権を得ました。
この敷設券には線路周辺の鉱物採掘の権利も含まれており、すでに中東で油田が見つかっていることを見越してのことでもありました。
このあたりのドイツの外交手腕はすごいと思いますね。

ドイツに隣接する国としてオーストリア・ハンガリー帝国がありました。
少し立ち遅れたて国ですが、元はハプスブルク家という大国です。
ドイツ語を話す人も多く、ドイツと合併すれば、大変な強国になり、ドイツがヨーロッパの覇権を握ってしまうと恐れた列強は、この際、ドイツをこてんぱんにやっつけてしまおうという思惑があったのです。

ヨーロッパの列強の思惑と違い、第一次世界大戦の「経済的な」勝者はアメリカでした。
そして東の小国日本もこの戦争によって急成長を遂げるのです。

ドイツ憎しによってヨーロッパは戦場となり、消耗戦を繰り広げます。
輸出力は低下し、物資は輸入に頼るようになります。
ヨーロッパ各国のシェアを奪う形で、アメリカと日本は経済成長を果たします。

アメリカは第一次世界大戦の戦闘の影響はなく、軍需物質の供給国として世界最大の債権国となりました。

その一方でイギリスは衰退していくのです。
第1次世界大戦前からイギリスの凋落は始まっていました。
19世紀末には覇権国の座をアメリカに明け渡し、20世紀に入るとドイツにも抜かれてしまいます。
そして第一次世界大戦によって更に衰退してしまうのです。
ドイツのUボートによる海上封鎖により、イギリスの国力は消耗してしまいます。
第1次世界大戦前はアメリカに対して最大の債権国であったイギリスは、大戦後は逆にアメリカがイギリスに対しての圧倒的な債権国となったのでした。

しかしイギリスを中心とした連合国は勝利したのです。
敗戦国のドイツは悲惨の一言でした。
すべての植民地を取り上げられ、国土を割譲させられるのです。
そして多額の賠償金を課せられるのでした。
工業国として成長していたドイツですが、一気に奈落の底に突き落とされてしまいます。

第一次世界大戦はエネルギー革命でもありました。
それまでは石炭による動力でしたが、石油にシフトしていくのです。
イギリスは無煙炭という上質の石炭の生産国でもありました。
戦艦という巨大な砲を積んだ感染の動力は石炭でしたが、第一次世界大戦では、航空機での戦闘や爆撃、あるいはヨーロッパ銃を震え上がらせたUボートなどの動力に用いられたのは石油です。

そして世界で一番石油を産出していたのがアメリカだったのです。
それも当時はダントツの生産量でした。

第一次世界大戦によって、ドイツは敗れましたが、戦勝国であるはずのイギリスもをはじめ連合国も経済的には被害。
あとの方で参加したアメリカこそが第一次世界大戦における本当の勝者だったのですね。


第11章 第二次世界大戦の”収支決算”

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1929年に世界大恐慌が起きました。
各国の貿易の縮小、ブロック経済化が進みます。
それによって、第二次世界大戦へと進んでいく要因の一つとされています。

世界大恐慌アメリカのウォール街、株式市場の暴落により起こったとされていますが、その前兆はすでにヨーロッパにあったのです。

そして第二次世界大戦の原因は第一次世界大戦の敗戦国であるドイツにあります。
ドイツは敗戦国であり、講和条約としてベルサイユ条約というのが締結されます。
このベルサイユ条約が非常に厳しい内容で、ドイツをどん底に陥れることになります。
そしてこのどん底のドイツこそが、その後のナチスの台頭を許すことになるのです。


ベルサイユ条約で、第一次世界大戦の責任は一方的にドイツにあるものと規定されています。
ドイツは連合国に対して損害を賠償しなければならないとされていました。

植民地は全て取り上げられr、国土の一部も取り上げられ、鉄鉱石の産出地も奪われてしまうのです。
鉄鋼生産料は第一次世界大戦前の37.5%にまで落ち込んだのです。
賠償金もドイツの税収の十数年分に及ぶもので、とてつもなく厳しい条件でした。

ドイツは、何度も連合国に、支払えないので、支払い可能な額に減額を求めるのですが、連合国はなかなか受け入れませんでした。

後ほど登場するイギリスの経済学者ケインズも当時、ドイツがこのままでは支払えないので、減額すべきだと述べています。

ドイツはこんな状況の中、ハイパーインフレを起こし、通貨の価値が1兆分の1になります。
銀行融資を停止し、通貨を切り上げるという手段で収束させます。
このような状況の中、連合国もこのままではまずいということになり、ドイツの賠償金はドイツのマルクで支払えばよいということを決めます。
この決まりごとはトランスファー保護規定と言われるものです。
マルクの価値が下がれば、連合国は大損害になるので、マルクの価値が下がらないように連合国は配慮するということです。
そのおかげで少しの間ドイツの経済は持ち直します。
アメリカなど海外からの投資でドイツの輸出産業は回復の兆しが見えてきたのです。

しかし1929年の春、「トランスファー保護規定」が破棄されることになりました。
ケインズは、これに反対をすると同時に、世界的な危機を予言します。
そのとおりに、1929年、世界大恐慌が起きてしまうのです。

世界大恐慌の原因はアメリカのバブル崩壊が原因と捉える向きもあります。
ただ、それだけの問題ではなく、世界経済が抱えていた矛盾が一気に噴出したものと考えられます。

そしてその責任が大きいのがアメリだと著者は述べています。
アメリカは、国際経済において、大事な義務を放棄していたというのです。
その義務とは「貿易の勝ち逃げをしてはならない」ということです。
にもかかわらず、アメリカはひたすら貿易で得た富を自国に貯め込んだのです。

アメリカは第一次世界大戦で大きく経済成長しました。
貿易の一人勝ちで大量の金が入ってきました。
金本位制であり、金が流入すればそれに見合った通貨量を増やさなければなりません

貿易黒字により、その国の金の保有量が増える
    ↓
その国の通貨量が増える
    ↓
その国はインフレとなり、輸出品も割高になる
    ↓
国際競争力が落ちて、貿易黒字が減る

こういうメカニズムが働かなければ、経済に歪みを起こしてしまうわけです。

しかし、アメリカはこのルールを破ったのです。
アメリカは自国でのインフレを懸念し、金が流入していたにもかかわらず、通貨量を増やさなかったのです。

アメリカは国際競争力を落とさずにますます金の流入が増えていきます。
すでに世界の金の保有量の4割を占め、その後も金の保有量は増え続けるのです。
第二次世界大戦終了まで増え続け、最大7割もの金がアメリカが保有することになるのです。

アメリカが金の保有量を増やすということは、それ以外の国の金の保有量は減るということです。
金本位制ですから、金の保有量が減ると、通貨の供給量が減ります。
通貨の供給量が減るとデフレとなり、産業経済が停滞してしまいます。
他国からもものが買えなくなり、貿易は収縮します。

世界大恐慌によって、世界中が不況にあえぎますが、ドイツはさらなる苦境に追い込まれるのです。
アメリカがドイツへ投資してきて、ようやく経済が立ち直ろうとしていたのですが、それらの投資は一気に引き上げられてしまいます。
そうなるとドイツの産業は瀕死状態に陥り、ドイツ国内には失業者があふれかえることになりました。
さらに当時のドイツの首相は舵取りを誤ります。
敗戦国であるドイツは、政府の財政赤字と言う問題は当然ありましたが、それを優先させるために、増税、失業保険の打ち切り、公務員の給料を下げるといった方向へ舵を切ろうとするのです。

不況のときに、財政を緊縮させれば、もっと不況になります。
ドイツ経済はますます悪化し、失業者は650万人にも登ったと言われています。

国民は猛反発し、そこに登場したのがヒトラー率いるナチスでした。
彼は、再軍備をし、ベルサイユ条約の破棄するという強気の政策を打ち出します。
ナチスは当初、財界や保守層からは支持されていませんでしたが、ドイツ経済の悪化にしたがい、圧倒的な支持を集めるようになっていくのでした。

ヒトラーは政権についてからわずか3年で失業者を100万人程度にまで減少させ、ドイツ経済を回復させます。
これは世界大恐慌で被害を受けた世界の国々のなかでは、日本とともに非常に素早い回復でした。

1938年当時の失業者数を見れば、経済の回復度合いがわかります。

イギリス 135万人(最大時300万人)
アメリカ 783万に(最大時1200万人)
ドイツ 29万人(最大時650万人)
日本 27万人(最大時300万人)

世界大恐慌以来、世界の列強国は貿易を閉ざし、自国と支配する植民地のみで貿易をするブロック経済を推し進めていきます。
日本も満州に進出するなどをすすめていきます。

世界の列強は植民地を持っていますが、敗戦国ドイツは植民地を持っていません。
そして当時はまだ領土侵攻などもしておらず、自国のみで経済復興を成し遂げたのです。
アウトバーンの建設計画や失業者大作などの労働者保護の政策で不況を克服していくのです。
ヒトラーは当然のように国民に熱狂的な支持を受けるようになります。

不況からの脱出に成功したドイツは、その後領土侵攻を繰り返していきます。
武装地帯とされていた地域への進駐やオーストリアを併呑、チェコスロバキアの一部の地方を割譲させ、その後チェコを併呑します。
そしてポーランドに侵攻したことで第二次世界大戦の勃発となるのです。

ヒトラーを正当化するつもりはありませんが、ヒトラーが侵攻した理由も十分理解できるところがあります。
第一次世界大戦によって植民地はすべて取り上げられ、領土も割譲させられてしまうなど、ドイツの国力は根こそぎ持っていかれていました。
しかも多額の賠償金もあります。
ドイツとしては、多額の賠償金を払うためにも、植民地と、旧国土を返してほしいと考えても不思議ではありません。
イギリス、フランスがドイツに対して宣戦布告する前(第二次世界大戦前)までのナチス・ドイツの領土拡張は元々ドイツ帝国の持っていた国土回復やドイツ語圏の地域の併合だったのです。
英仏に宣戦布告を受けてからは、それこそあちこちに侵攻を開始することになります。

ちなみにヒトラーノーベル平和賞候補だったのです。
第二次世界大戦ナチスを率いるヒトラーこそが最大の戦争犯罪人であるとされましたが、第二次世界大戦が始まる前、当時、ヒトラーはヨーロッパに平和をもたらしたとして、称賛されているのでした。
民族自決」の方針で、ドイツに合併してほしいという地域は、住民の意思を尊重してそのようにすべきだというのです。
ドイツ語を話すドイツ人が多くを占めるオーストリアチェコスロバキアの一部もドイツ人が多く占めています。
そしてそこで暮らすドイツ系住民の多くはドイツとの併呑を望んでいるのですが、連合国の思惑によってドイツとの併合は禁止されています。
連合国の思惑は、ドイツが強国にならないようにすることでした。
そのために作られたオーストリアであり、チェコスロバキアであり、これらの国は連合国によって作られた国とも言えます。

ドイツのヒトラーはは「ミュンヘン会議」において、領土侵攻をしない、住民の意思を尊重するということで「第二次世界大戦は避けられた、平和をもたらした」ということで称賛され、ノーベル平和賞の候補になるのでした。

しかしヒトラーの野心は止まりませんでした。
むしろ、英仏の弱腰が「ミュンヘン会議」で証明されたことに味をしめたのでしょう。
少々無理をしても大丈夫とたかを括っていたのかもしれません。

そしてポーランドへ侵攻するのですが、それにもまた理由が別にあります。
ポーランド回廊と呼ばれる地域がドイツの国土を分断しているという問題です。
このポーランドも連合国によって作られた国です。
ドイツ帝国の領土にロシアの一部の領土を加えて建国されました。
そしてポーランドが海につながる土地を確保するために、ドイツは「ポーランド回廊」と言われる地域を割譲させられたのです。

ドイツは度々この地域の変換を求めるのですが、ポーランドは応じず、連合国に支援を求めるのです。
ヒトラーナチス・ドイツポーランドへ侵攻。
そして協定を結んでいる英仏は、ドイツに対して宣戦布告を行い、第二次世界大戦が勃発したのです。

 

アメリカの動向

アメリカは第二次世界大戦が始まっても、ヨーロッパの動乱に関しては静観の姿勢でした。
英仏はドイツに対して宣戦布告はしたものの、フランスはわずか2ヶ月しか持たずに降伏。
イギリスはヨーロッパ大陸から本国へ逃げ帰り、イギリスの降伏も時間の問題と見られていました。
イギリスからは再三にわたって大国アメリカへの参戦を求められますが、当時のアメリカは孤立主義モンロー主義)で参戦する意思は見られませんでした。
つまりは対岸の火事
むしろ第一次世界大戦のときと同じように軍需品でまた設けられると思っていたのかもしれません。

しかし、ドイツの打ち出した「欧州新経済秩序」により、ドイツの独走を許せなくなるのでした。
欧州新経済秩序とは金本位制を離れた金融制度で、欧州における通貨の統一も含んでいるような内容。
この欧州新経済秩序がスタンダードになり、金本位制が崩れてしまうと、世界の4割もの金を保有しているアメリカにとっては大変面白くない状況になります。
アメリカはすでに工業国として世界のナンバーワンに躍り出ていますが、ドイツがそれを猛追。
地理的に欧州にあるドイツがこのままの勢いで欧州を支配するようになるとアメリカの工業製品のマーケットもドイツに奪われてしまうのです。

日本の輸出力

日本が工業国、輸出による外貨獲得に果たした役割が大きかったのは生糸でした。
幕末の開国以来、日本の代表的な輸出産品だったのです。
しかし、材料としての生糸を売るよりも、絹や綿などの製品を製造して売ったほうがより儲かるということに気づきます。
日本経済が成長した第一次世界大戦で、その成長を支えたのが紡績業でした。
この紡績業で世界経済の頂点に立っていたのがイギリスです。
イギリスが頂点になったのは産業革命による機械化、大量生産でしたが、そこから100年くらい遅れた日本はようやく大量生産技術を導入。
老朽化したイギリスの設備と比べて最新鋭の機械を導入した日本製品は優位に立ちます。
僅かな期間でイギリスを追いつき、並ばせることなく抜き去ってしまったという印象です。
イギリスとしては面白くありません。
輸入規制やら、関税やらで日本製品を排除しようとします。
イギリスと日本とで起きた貿易摩擦はインドというイギリスにとっては絶対的な聖域での攻防で、日本はやむなく満州へそのはけ口を向けていきます。

日本の中国進出を嫌うのはヨーロッパの列強だけでなく、アメリカでした。

アメリカも中国が欲しかったのです。

列強にとって満州は最後に残された植民地となる土地でした。
ヨーロッパの列強ともどもお互い牽制しているような様子。
まずは陸続きのロシアが満州に攻め入ります。
それまでもロシアはこの土地を欲していました。
しかし大国清への配慮から攻めてくることはなかったのです。
しかし、日本が大国清にあっけなく勝ってしまうと、遠慮もなく進出してくるのです。
眠れる獅子と言われた中国(清)でしたが、眠れる豚と揶揄される様になるのでした。
日清戦争出の勝ち取った遼東半島を強引に奪い取り、更に侵攻し、朝鮮半島まで進むロシアに対して、日本との衝突することになります。
これが日露戦争で、大国ロシアに対しては苦戦を強いられるものの、勝ちました。
ロシアは満州への影響力を失い、逆に欧米の列強はこぞって満州への欲望をたぎらせることになるのです。
満州に並々ならぬ意欲を見せます。
遅れて列強に仲間入りしたアメリカは他のヨーロッパの国々と比べると植民地は少なかったのです。
アメリカは日露戦争で日本とロシアの間の仲裁役を勝って出ますが、それはロシアから満州を引き剥がすことにありました。

東亜新秩序

アメリカを激怒させたのが日本が唱えた「東亜新秩序」でした。
アメリカは中国、満州へ並々ならぬ野心を持っていましたが、それ以上に大事な顧客として日本がありました。
当時、日本はアメリカにとって中国の10倍以上の輸出国であったのです。
つまりは中国よりも大切な大得意様だったわけです。
しかし中国への支配を強める日本は1938年に発表した「東亜新秩序」というものがアメリカ本気で怒らせることになりました。

欧米列強と日本は中国において「特定の国が特定の権益を求めない」という協定を結んでいたのですが、東アジアにおいては日本が中心になって新しい秩序を建設すると宣言したのです。

これまでの欧米列強との協定は反故にするということです。

第二次世界大戦が始まった当時、アメリカも日本も欧州からは遠く離れ、いうなれば対岸の火事でした。
それがアメリカは欧州において「欧州新経済秩序」、アジアにおいては「東亜新秩序」ということを許せず、世界ナンバーワンの覇権国家としてその実力を見せつけていくことになります。
日本も欧州の戦争に興味はありませんでしたが、中国を植民地経営する上で、裏で支援している英仏は非常に邪魔な存在で、この第2次世界大戦に乗じて、中国支配を優位に進めようとします。

アメリカと日本は戦火を交えることになります。
太平洋戦争が勃発するのです。

大国アメリカは欧州でイギリスを助けながら、日本との戦います。

勝者も敗者も”大損失”の戦争

経済支配地域の獲得を目指して、列強が激しくぶつかりあったのが、大事に世界大戦です。
形の上では、日本、ドイツ、イタリアが連合国に対して敗北したことになり、この世界を巻き込んだ大戦争終結します。

「戦争というものは、単にどちらが降伏したかで勝敗を問えるものではない。
どちらが多くのものを得たかを分析する必要がある。」
著者はこのように述べていますが、全くそのとおりで、敗戦国である国が大きな損失があるのは当然としても、それ以外の列強の国もまた大きな損失ばかりでした。

日本は戦争前半、東南アジアの国々を占領しました。
その多くは英米仏蘭の植民地でした。
日本軍はそこで独立運動家に対して、武器援助や戦い方の指導などをしていました。
そもそも簡単に東南アジアの地域が日本軍の手に落ちたのは、欧米列強の植民地政策に対する現地の反発があったからです。
第二次世界大戦後、それらの植民地はもとの植民地とならず、独立運動が沸き起こります。
日本軍が支援してきた独立運動家たちは、日本が負けた後も、もとの列強の支配を良しとしませんでした。
戦争直後の戦勝国である欧米列強には独立運動を抑えるだけの力はなく、アジアの諸国は欧米の植民地の支配から独立していくのでした。

そう考えると第二次世界大戦は負けた日本はもちろんですが、戦勝国である連合国も多くのものを失った戦争でした。
言うなれば、帝国主義経済崩壊への戦いだったと言えます。

この戦争で多くのものを得た勢力はソ連を中心とした共産主義勢力です。

今宵はココまでにいたしとうございます。

 

第12章 ソ連崩壊、リーマンショック 混迷する世界経済

残りはあと、1章なのですが、次回はそれをサクッとまとめて終わりたいなと思っています。

 

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