悪魔の尻尾

50代から60代へ~まだあきらめない

メルカリ販売

持っているゲームソフトを出品したところ、割合すんなりと販売できるものもある。
値段次第というのもあるし、ゲームソフトという買いやすいもの、買いやすい中古品ということもある。

中古ショップで売るほうが良いということはなかなかないのかもしれないが、少しくらい安くても配送費用や配送にまつわる手間を考えるとヤフオクやメルカリで販売することがすべて良いとは思えない。

まあ、こんかいメルカリ販売を通じて仕組みというか流れがわかっただけでいい経験にはなった。

これを業とするというのはいかんせん厳しい。販売するためのものがあればよいが、自分が要らなくなったものだけを販売するというほど世の中甘くない。
もちろん販売するためのものを仕入れて、仕入れよりも高い値段で売ることができれば商売として成り立つが、そんな器用なことができる人は特区の昔にやっているはず。商売人は基本そういうものである。
したがって素人が販売するものというのは、自分にとっての不要品ということになる。

自分が要らないものとは、だいたい他の人も要らないものである。処分にお金がかかるような時代で「儲からなくても配送費用が出ればタダで処分できてラッキー」というくらいの感覚でないと不要品の販売はできない。

不用品となるとそもそもジャンク品で、そこにどういう価値を見出してくるのかわからないが、もともとその品物に価値があれば、壊れていても部品取りやら、記念に持ちたいという人がいてもおかしくない。
ただ、そういうものは、いつまでも出品したままになっているようなものが多い。当然か。不要品と不用品は違う。不用品とは、自分にとって不要というわけではなく、品物として使えないものである。

今家にあるもののうち、要らないものは結構ある。それらを処分するために高い費用をかけて行うというものもったいない。しかし、狭いスペースにものをおいておいて、デッドスペースにしてしまうのはもっともったいない。
断捨離というものが行われる理由がそこにもある。もちろん気分一新し、新たに歩みだす覚悟という意味も大きいが。

近所にあった鉄くずなどを買い取る業者のおっさんから聞いた言葉に、「捨てればゴミ、利用すれば資源」というものがあった。自分にとっては不要なものでも手間を惜しまずに販売するということは、これからの時代には必要な感覚なのかもしれない。

インターネットによって情報が価値を持ち、それらをいつでも手元に取り寄せることができるようになった。かつて価値のあった本なども所有する意味が下がっている。

音楽などもそうである。アナログレコードもデジタルCDもミュージックテープも勝ちがあるのはその中身であるが、そういったものをコレクションしていても結局ほとんど聞くことはない。集めることに夢中になっていただけである。
メルカリでそれらを販売できればとも思うが、そもそも価値が下がったものは売れず、配送費用にもならない。そんなものか。

Copyright ©悪魔の尻尾 All rights reserved.