
「竜馬がゆく 司馬遼太郎 ①」を書いてから随分とたちました。
もっと早めに投稿しようと思っていたのですが、下書きしていたものを誤って消してしまいました。
やることなすことすべてダメなときってありますね。
気を取り直すまでにチョット時間がかかりましたね。
この本の目次
竜馬がゆく(一)
門出の花
お田鶴さま
江戸へ
千葉道場
黒船来
朱行燈
二十歳
淫蕩
寅の大変
悪弥太郎
江戸の夕映え
安政諸流試合
竜馬がゆく(二)
若者たち
旅と剣
京日記
風雲前夜
待宵月
頑固家老
萩へ
希望
土佐の風雲
脱藩
竜馬がゆく(三)
追跡者
寺田屋騒動
流転
伯楽
嵐の前
海へ
京の春
竜馬がゆく(四)
神戸海軍塾
物情騒然
東山三十六峰
京の政変
江戸の恋
惨風
片袖
元治元年
竜馬がゆく(五)
防長二州
池田屋ノ変
流燈
変転
菊の枕
摂津神戸村
薩と長
元治の春
竜馬がゆく(六)
戦雲
薩摩行
希望
三都往来
秘密同盟
伏見寺田屋
碧い海
海戦
竜馬がゆく(七)
男ども
窮迫
清風亭
お慶
弥太郎
いろは丸
竜馬がゆく(八)
夕月夜
陸援隊
横笛丸
朱欒の月
浦戸
草雲雀
近江路
あとがき集
あとがき一
あとがき二
あとがき三
あとがき四
あとがき五
感想
第一巻の千葉道場での剣術に明け暮れていたところでは、面白いのですが、それほど盛り上がりはありませんでした。
というのも幕末の慌ただしい日本の国にあって、郷士の次男坊であり、剣の腕前こそ確かなのですが、全くの無名。ひょろっと背が高くて、どこかぼうっとした雰囲気のある坂本竜馬という感じです。
何のために生まれてきたのか?何をなすべきかを彼なりに考え、行動していきますが、はじめの頃からやるべきことが見えていたわけではなく、剣術に打ち込み、それを極めていくに従って、いろんな物が見えてくる=成長を見ていくのが楽しい小説でした。
初恋の人、お田鶴様も登場しますし、のちのち色んなところで関わり合う三菱の岩崎弥太郎も登場します。
第二巻以降は幕末の動乱が少しずつ描かれていき、歴史の教科書のようなものではなく、一人の男を通して世界観が描かれていきます。
このあたりが歴史書とは違って、物語としておもしろく、多くの人に読まれている小説なんですね。
序盤のこの小説では、土佐藩の優秀な頭脳の持ち主である竜馬の親友、武市半平太が重要な役割を果たしますが、彼もまた剣豪の一人。
北辰一刀流千葉道場で塾頭の竜馬、神道無念流斎藤弥九郎道場で塾頭となるのは長州の桂小五郎、そして鏡心明智流桃井春蔵の志学館で塾頭を務めるのが武市半平太。
長州は京の都で派手な活動を続け、尊王攘夷は長州が中心に回っていました。
その思想的な指導者は松下村塾の吉田松陰であり、彼の死後もその思想は長州で続いていきます。
一方の土佐では、賢君であり英雄であることを辞任する山内容堂が土佐藩の実質的な藩主であり、土佐藩自体が強固な佐幕派。
そもそも薩長とは立場が違います。
薩長はもともと徳川には恩義を感じることはありません。
長州は関ケ原以来、取り潰し寸前まで行ったほど。
薩摩にしても今の領地は幕府に与えられたものではなく、力で奪い取ったものであり、徳川幕府に対して鼻息が荒いわけです。
ところが、土佐藩は関ケ原にて東軍でその手柄として与えられた24万石。
徳川家に足を向けて眠れないという家でもあるわけですね。
大きな分岐点となるのは第三巻の勝海舟の登場です。
竜馬の師匠であり、彼の導きによって竜馬は幕末で重要な役割を演じきることになります。
この小説があまりに面白いので、史実そっちのけで竜馬を中心とした幕末が描かれ、未だにこの小説の歴史こそが真実と疑わない人が多くいるそうです。
司馬遼太郎さんも罪な作家さんですよね。彼の語る歴史は多くの文献をもとに余談もたくさん交えられ、あたかも真実とはこうであったと思ってしまいます。
後に司馬遼太郎さんはこの物語が創作の小説であることを告げていますが、もう手遅れですよね。
第二巻では幕末を彩る長州藩との関わりを剣豪桂小五郎を登場させることで竜馬の人生に一つのポイントを与えます。
また後の竜馬と同様に抜群の行動力で幕末を動かしてきた中岡慎太郎も登場します。
当初、竜馬は他の尊皇攘夷論を語る若者の一人。
千葉道場の若師匠であるとともに、開国論者である勝海舟を暗殺しようと彼のもとへといったのですが、そこでであった勝海舟の考え方にすっかりと共鳴し、彼の弟子となります。
勝海舟の教えを竜馬はスポンジのように吸収し、勝もこのユニークな男を心から愛しました。
見どころのある若者として、その後竜馬の支えとなる人物を紹介していきます。
幕府の要職にあった大久保一翁や越前の松平春嶽などですね。
勝海舟は頭が切れ過ぎ、他の幕僚たちとは考え方が異なります。
そのため幕府内では嫌われ者で、政敵である小栗上野介によって職を奪われ、竜馬の後ろ盾としてはそれほど力になれない時期になっていきます。
幕府の役人という立場であるため、竜馬に己の夢を託し、竜馬は神戸で海軍塾を開いていくのが中盤ですね。
この海軍塾が亀山社中となり、のちの海援隊となっていくのですが、塾生つまり竜馬の弟子たちの中には後に大物になっていく人物たちも含まれます。
中でもその才能を愛された陸奥陽之助や長岡謙吉などがいます。
中盤は京都で長州藩の暴走というか、薩摩藩の陰謀というか、まだまだ幕府の力はあったという時代。
竜馬は伏龍がごとく、身を伏せて時が来るのを待ちながら、己がやるべきことに邁進していきますが、順風満帆とは程遠いです。
多くの志士たちの流血とともに、幕末の風雲は徐々に温度感が上がってきます。
この表情に喜怒哀楽を出さない静かな男の奥底にマグマのように怒りをそっと抑えているのでしょう。
竜馬には当時の武士としてはとてもユニークな人材で、それは幕末の偉人たちの中でも異質ですね。
薩長の幕末のスターとは違って、彼には土佐藩というものがありません。
早くから脱藩しているくらいですし、土佐藩とは全く関係のないところで動いています。
勝海舟も当時としてはとても先見の明がありましたが、幕府の役人である以上、竜馬のような役割を演じることができませんでした。
骨太な歴史小説かと思えば、女性との恋愛模様もこの小説に彩りを添えています。
初恋の人、福岡家老の娘お田鶴様は架空の人物ですが、この小説にはなくてはならない存在。
乙女さんを普通の女性にして恋愛対象に登場させたのではないか?と思ったりもしますね。
どことなく乙女姉さんと被ります。
そして千葉道場のさな子嬢。若い頃の竜馬と意地の張り合いみたいなところがとても可愛らしいですね。
妻となったお龍さんは、かなりの変わり者として描かれています。
この小説内での竜馬は風彩は上がらぬながらも、モテモテ男ですが、なぜこの女性を妻にすることになったのかはわかりません。
しかしこの変わり者の女性がおもしろき人と表するあたりが、竜馬の面白さなのかもしれません。
優れた女性というのは竜馬の中では姉の乙女が絶対であり、その基準からはかなり外れた異彩だったからでしょうね。
気の毒なのは千葉道場のさな子さんですかね。
彼女の一途さは、武家の娘そのものですが、彼女もなんとなく姉の乙女さんと近いものを感じます。
この3人は常に恋バナに登場しますが、彼女たち以外にも寺田屋のお登勢さんや長崎の豪商お慶などやや年配の女性たちもいます。
あるいは長崎の芸者お元なんかも竜馬にぞっこんで男も女もこの竜馬に心を鷲掴みにされてしまうのでしょう。
魅力的な人物であり、それこそ小説の中で作られた偶像なのかもしれません。
こんな魅力あふれる竜馬、ユニークな人物を作り上げた司馬遼太郎さんは、すごい作家さんなのだと改めて思いますね。
メモした部分など
せっかくなので覚書としてピックアップしておいた部分です。
一巻 二十歳
洋学者江川太郎左衛門が桂小五郎に語った言葉
しかし海外でいま栄えている国というのは、じつに国の体制がうまくできている。日本のように三百諸侯が割拠して、徳川氏に臣礼をとり、武備や政治にはげむよりも徳川氏の期限を損ぜぬようにするだけで日を送っているような国家はない
「学問も大事だが、知ってかつ実行するのが男子の道である。詩もおもしろいが、書斎で詩を作っているだけではつまらない。男子たるものは、自分の人生を一編の詩にすることが大事だ。楠木正成は一行の詩も作らなかったが、かれの人生はそのまま比類ない大詩編ではないか」
桂小五郎が竜馬に語った言葉
「事をなすのは、その人間の弁舌や才智ではない。人間の魅力なのだ。私にはそれがとぼしい。しかしあなたにはそれがある、と私はみた。人どころか、山でさえ、あなたの一声で動きそうな思いがする」
第二巻 若者たち
武智は秀才の代表、竜馬は鈍才のあこがれというわけであった。
風雲前夜
勤王倒幕。そういう言葉が、史上、実際運動の政治用語として用いられたのは、この麻布の空家での密会のときが最初であった。それまでは尊王攘夷という言葉はあったが、「倒幕」という衝撃的な言葉が使われたのは、おそらくこのときが最初であろう。
天下国家を論じていると気持ちが壮大になってきて、藩役人など何するものぞという気概になってくる。
なんとなくわかりますね。
国を憂いている自分によっている小物感が漂っています。
それは今も同じなのではないかと、ふと思いました。
居酒屋で政治談義をしているおっさんたちとか(私を含めて)
希望
長州藩において吉田松陰とともに二秀才と言われた長井雅楽について
説くところ明快で、しかも態度は人を圧服せしめる威容がある。
むろんその論は佐幕主義で、その点、土佐藩における家老吉田東洋に似ている。
竜馬の久坂玄瑞評
思想的勤王志士の典型としての長州型をステレオタイプにしたのが久坂玄瑞ということなのでしょうかね。
血気で事をなす壮士というだけの人物ではないか。尊王攘夷の狂信者という、ただそれだけの印象を竜馬は久坂玄瑞にうけた。
長州には人材が多い、というのが天下の評判であっただけに、この型はめずらしくないのだ。これが長州第一等の人物なのかと何度も久坂の顔をみた。
(しかし好漢だな)
佐幕開国主義の長井雅楽の意見を聞いた竜馬の思い
久坂が「大奸物」という長井雅楽の意見は、「幕府を助けて大いに開国貿易主義をとり、西洋の文物をとり入れ、船をさかんに造って五大州を横行し、国を富ませたのちに日本の武威を張る」というものであった。
(そのとおりではないか)
ただ長井雅楽の論のなかで、
「幕府を助けて」
というのはいけない。竜馬は一も二もなく倒幕論者であった。
追跡者
天下の志士はことごとく狂信的な攘夷論者である。
流転
公家は歴史上ろくなことはしていないが、妙な権威がある
かれらは、天子という現人神をとりまく神主なのだ。神主にすぎない。すぎないが、天子がじきじき大名に会うわけではないから、その神託を神主が取りつぐように、公卿は天子の御言葉を取りつぐ。そういう権威がある。むろん、途中、公卿が都合のいいように変えることもあったりしても、天子は一向にごぞんじない。
薩長が、宗教的攘夷思想の非をさとってひそかに外国と手をにぎり、軍隊を様式化して幕府を倒した。簡単にいえば、それが明治維新である。
攘夷論者のなかには、そういう宗教色をもたない一群があった。長州の桂小五郎、薩摩の大久保一蔵(利通)、西郷吉之助、そして坂本竜馬である。
この文章を見て思ったのが、二宮尊徳の言葉、「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」ですね。
昭和の政治史は、幕末史よりもはるかに愚劣で、蒙昧であったといえる。
(世上、ひとしく攘夷を叫び、勤王をおらぶも、みな空論にすぎぬ。おれがその群れにこそこそ入りこんでおなじ踊りをおどり、おなじ唄をうたっても、なんの足しにもならむ。いまは迂遠の道を通るが、やがてみろ、日本をおれが一変させてみせてくれるぞ)
すくなくとも幕末には、日本人は実在しなかった。志士と名のつく者は、佐幕人か、神秘的勤王主義者か、あるいはこれとは別の分類でいえば、薩摩人、長州人、土佐人、幕臣、諸藩の士、公卿、といったように、それぞれが属している団体の立場や、主義に属し、それらを通してしか、ものを考えず、それによって行動した。薩摩の大久保一蔵、西郷隆盛、長州の高杉晋作、桂小五郎といった連中も、ついにはその所属藩の立場を超越できなかった。つまり、薩摩人、長州人であった。
幕末で、日本人は坂本竜馬だけだったといわれる。
竜馬は、議論しない。議論などは、よほど重大なときでないかぎり、してはならむ、と自分にいいきかせている。もし議論に勝ったとせよ。
相手の名誉をうばうだけのことである。通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと、持つのは、負けた恨みだけである。
議論は勝ち負けではないのに、いつの間にか「はい、論破」みたいな風潮には参ってしまいます。
論理的な会話はもちろん否定しないし、有益なこともたくさんあるけれど、人間は感情に支配されている部分も否定できませんから、尖すぎる言葉でやっつけすぎると後々しこりしか残りませんね。
嵐の前
土佐のご隠居の容堂。
たしかに傑物だが、この人は維新では時勢にブレーキをかける役目しか果たさなかった。
学殖があり、勤王思想家である。が同時に熱烈な佐幕派でもあった。こういう政治的立場を、当時の流行語でいえば「公武合体派」という。
学識があり、自他ともに優秀と認める人ほど、変化を求められるときには邪魔なだけであったりしますね。
「また米国を興したワシントンも、家康ではないぞ。国家を自家の私有物にしようという考えはないぞ。坂本竜馬は、日本のワシントンになるんじゃ。お前らもそうなれ。みんなでそうならぬと、日本はつぶれるわい」
海へ
ペリーにつづく諸外国の遠洋艦隊は、日本列島にコレラ菌をもちこんで、幕末、この国際的な伝染病のためにずいぶん罹患者が出たが、同時に、日本人に世界の中の自分というものを意識させた。これはもう、発狂にちかい意識であった。それが開国と攘夷論にわかれた。この二つの激突が幕末の血の風雲史になるのである。
東山三十六峰
「藤堂君、わしは徳川に怨念があるわけでもなんでもない。歴史を考えてみろ。遠いむかし、京の公卿政治が古ぼけてきて日本のおさまりがつかぬから、関東に頼朝が興り、武家政治になってやっと世の中がおさまった。足利幕府が政府としての力をもたなくなったから戦国争乱の世になり、信長が出てきて足利家、叡山延暦寺などのふるい秩序、世に役にたたぬ権力、そんなものをぶちこわしてあたらしい政治を布こうとした。いまの徳川幕府もそうだ」
「外交一つできない。条約を結んでも、ばかにされて下女との雇傭契約のようなものを結んでいる。それに政治というのは、庶人の暮らしを立てさせてゆくためにあるものだ。しかるに徳川幕府というのは、将軍家の保護と繁栄のためにある。こんなばかな政府が、世界中のどこにあるか」
何か、今の自民党を中心として日本の政府のことを言っているような気がするのは私だけなのでしょうか。
「藤堂君、徳川家は、自家の保存のために三千万の人間の身分階級を固定し、制度も法律も家康時代のままでこんにちまできた。これだけでも、日本人の敵だよ」
自民党の議員たちはあまねくそうだと思いますね。
世襲議員は、もう存在だけで「罪」だろう。
いい男が新選組隊士などになるはずがないとお登勢はおもっている。
いい男が自民党議員で立候補するはずがないと私は思っています。
京の政変
そこで、いったんは失脚した薩摩藩が、その卓抜した政治能力にものをいわせ、長州藩を失脚させるためにひそかに「敵方」の会津藩と手をにぎるという、奇術的な外交の手をうって出たのである。
惨風
「アメリカでは、大統領が、下女の暮らしの立つように考えて政治をやる。徳川幕府は徳川家の繁栄のみを考えて、三千万の人間をおさえつけてきた。幕府、幕下の諸大名しかり。藩の都合だけで政治をする。いったい、日本人はどこにいるか。日本人は三百年、低い身分にしばられ、なんの政治の恩恵も受けていない。この一事だけでも、徳川幕府は倒さねばなりませんよ」
「日本は先進国の中で30年間全く成長せずに実質マイナス成長ですよ。その間政治にはなんの恩恵も受けていない。このことだけでも現政府、自民政権は倒さねばなりません」と竜馬が言っているように聞こえるのは私だけでしょうか。
英雄は果断が必要だ。
と容堂は思いすぎる男だった。果断で武市を殺し、譜代の重臣小南をかつてはひどくその人柄を信任していながら、いまは庶人におとしてしまった。英雄、容堂はひとり英雄的に悲壮がり、喜劇を演じつつあった。
なんとなくアメリカ大統領に見えてきました。
片袖
賢君を擬装した稀代の暗君容堂へのはげしい反感がかかせたものであろう。
「世に生きものというものは、人間も犬も虫もみなおなじ衆生で、上下などない」
「俸禄などといおうのは鳥に与える餌のようなものだ。天道(自然)は、人を作った。しかも食いものも作ってくれた。鳥のように鳥籠にかわれて俸禄という名の餌をあたえられるだけが人間ではない。米のめしなどは、どこへ行ってもついてまわる。されば、俸禄などわが心に叶わねば破れたる草鞋を捨つるがごとくせよ」
「諸藩の門閥、高禄の武士もだめです。三百年、暖衣飽食してきた家から、時勢のために死のうという健児が出るはずがない」
要するに、武士階級は根が腐りきって時代を荷えなくなっている、というのである。
これもそのとおりでしょうね。かつての名士、あるいはどこそこの御曹司と呼ばれる人たちに人物はいないと思うし、ましてや世襲二世三世にろくなやつはいないと断言できます。