悪魔の尻尾

50代から60代へ~まだあきらめない

阪神大震災の記憶

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1月17日は今から26年前にあった阪神・淡路大震災の日である。
もうそんなに経過したのか?という気もする。
すでに震災を知らない世代の人も多くなり、経験してきた人もたくさん亡くなった。

直撃の場所ではなかったが、大阪市に住む私の地域もとても揺れた。
その日は揺れた感覚がずっと残っていて、気持ちが悪かったが、テレビで放映されている映像を見て、そんな事も言っていられないと思った。

 

震災の日

早朝、激しい揺れとともに起きた。
私の家族は、妻と当時2歳の娘。
下から突き上げるような衝撃で私は飛び起きた。
そして布団から出て立ち上がると、真っすぐ歩けないほどの揺れを感じた。

食器棚がひっくり返りそうで、扉は勝手に空いており、戸棚からは食器がたくさん落ちて割れてしまった。
テレビ台においてあったテレビも半分以上ずり落ちており、あわやそれも落下して壊れてしまうかもというほど。

タンスは幸い倒れることがなかった。
タンスのそばにはすやすやと愛娘が眠っていたのである。
後で考えるとゾーッとする。
あの揺れの中でもぐっすり眠っていた娘はある意味凄い気もするし、子供の強さも感じた。

当時まだ新婚気分もあった。
そのためか二人でワインを傾けたりするためにと買ったボヘミアクリスタルのペアのグラスが粉々になった。
それもショックだった。
妻と私にとって結構思い入れのあるグラスだったのに。
ビールの景品でもらったグラスなんかは割れなかったのに、よりによって一番大切にしていたグラスが割れてしまうとは。

震災前日

実は前日、私達は神戸元町の中華街でディナーを楽しんでいた。
幼い娘にレタス包みを小さく作って食べさせたりしながら、家族で食事を楽しんだ。
神戸を出たのが夜の9時頃だったかも知れない。
随分とあちこち行って、疲れたのか、車の中では娘も疲れてぐっすり眠っていた。
大阪に到着し、自宅の賃貸マンションでくつろぐ。
妻と、今日は楽しかったなあとか会話していたと思う。
すやすやと眠っている娘の顔を見て、幸せを感じていた。

私も疲れていたし、妻も同様。
翌日も仕事があるので、就寝した。

阪神大震災から26年

激しい突き上げの振動と横揺れが続いておき、その時間もものすごく長く感じた。
これまで自身にあった経験はあるが、もちろんあんなに揺れた経験は初めてだった。
時間にして1分くらいだろうけれど、かなり命の危険を感じるほどの揺れだった。
このまま続けば、マンションが倒れる?と思えるほど。
とにかく立って普通に歩いていられないほど。

揺れが止まり、とりあえずテレビを付けると、ニュース速報が入った。
しばらくしてから衝撃の映像が流される。
ほんの数時間前に通った阪神高速道路が折れている。
橋脚が折れて道路全体が倒れているのである。

その日はあまり仕事にならなかった。
余震も何度かあった。
しばらくの間、ビルのエレベーターに乗るのもあまり良い気がしなかった。
マンションのエレベーターもそうだ。

大学が神戸市にあり、友人も阪神地区に多く住んでいた。
幸い友人知人に不幸はなかったが、友人の住んでいるマンションオーナーの自宅が倒壊して亡くなったと聞いた。

また神戸市の職員をしていた友人は不眠不休で仕事にあたっていた。
停電が続く状況で、幼子と奥さんだけで厳しい時間を過ごしたという。

今となっては過去のことだが、やはり怖かった。
このことは忘れてはならないこと。
多くの人の命が奪われた。

 

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