いつも通り、通勤電車で読んでいた本です。
本当は少し前に読み終えていて、書評と言うか、感想文も下書きをしていたのですが、下書きとして登録したつもりが消えていました。
再度書き直すつもりが、安倍元首相の襲撃事件やらあって、書きそびれていました。
夏美のホタルの目次
プロローグ 榊山雲月の「光」
第一章 相羽慎吾の「蛍」
第二章 相羽慎吾の「夏」
第三章 相羽慎吾の「涙」
第四章 河合夏美の「心」
第五章 相羽慎吾の「願」
第六章 河合夏美の「命」
エピローグ 榊山雲月の「凛」
あらすじ
榊山雲月は地元ではそこそこ有名な寺の次男坊に生まれました。
寺は優等生の兄が継ぐことになり、勉強嫌いだが手先の器用だった次男は高校卒業と同時に仏師として弟子入りします。
竹岡鉄斎という、名匠の仏師のもとで修行をすることになるのですが、数いる弟子たちの中で才能があった雲月は師匠をも超えるほどの実力をつけ、ついに師匠から免許皆伝となり、「雲月」という名前をもらうのでした。
独立した雲月は父である実家のバックと師匠である鉄斎の名前とともに仕事は順調に入ります。
そしてそれ以上に評価も上がり、お金も多く得ることができるようになり、結婚します。
しかし、生臭坊主たちとの遊びが高じて、妻と離婚、子供も奪われ、残ったのは養育費の支払いだけでした。
雲月は山の森の中にある「雲月庵」という工房で過ごします。
芸術大学でカメラマンを目指す相羽慎吾バイクに乗っています。
ホンダのCBX400Fという古いバイクを駆るのは、夏美。
慎吾は彼女のバイクの後ろに乗っているのです。
写真撮影のためのスポットを探すにも、夏美は速度を緩めませんでした。
その理由はトイレでした。
彼女が止めた雑貨屋でトイレを借りるのです。
雑貨屋の名前は「たけ屋」。
食品から、生活用品までいろいろな商品を扱う、いわゆる田舎の「よろずや」でした。
せっかくなので、慎吾は一眼レフを取り出して、「たけ屋」を背景に止めてあるCBX400Fを撮影します。
店の中にはおじいさんが座っています。
おじいさんは、慎吾の一眼レフに興味があるようでした。
なんだかのどかで、あったかい話し方もあり、知らず知らず、写真を見せてあげることになりました。
夏美がトイレから戻ってくる時には、おじいさんよりも年配のおばあちゃんが一緒にやってきました。
おじいさんは、福井恵三さんで、おばあちゃんは彼の母で福井ヤスエさんです。
トイレだけでなく、ほうじ茶まで入れてくれて、一緒に話をしたりするうちに、居心地が良いと感じているのでした。
この集落のそばには、きれいな清流があります。
次の週、慎吾と夏美は恵三さんのススメもあって、ホタルを見に来ることになりました。
その美しさに心が洗われるのでした。
夏美は幼稚園の保母をしている女性で、彼女の大切にしているCBX400Fというバイクは父親の形見でとても大切にしています。
引っ込み思案な慎吾と誰とでも気さくに打ち解ける夏美。
不思議と気の合う中の良いカップルなのです。
そんな彼らが、ひょんなことから馴染みの場所となった「たけ屋」です。
慎吾は「たけ屋」でプロカメラマンの卵と紹介され、撮った写真も褒められたのですが、実はまだコンクールなどで賞は取ったことがありません。
大学の仲間はどんどん先に進んでいて、自分の中でもかなりの焦りがあるのでした。
慎吾は、写真コンクール向けの作品を撮るために、「たけ屋」の離れにある物置を改装し、夏休みの間、そこを拠点に暮らすことになりました。
「たけ屋」は年老いた母とその息子も老齢に達している母一人子一人の家族。
近所には親戚の酒屋の家族もいますが、その生活は慎ましいのです。
恵三は「地蔵さん」と呼ばれています。
いつものどかな話し方で、ほっこりさせる人柄ですが、若い頃の事故が元で体が不自由でした。
杖をついてゆっくり動く事はできるのですが、多くのことは高齢の母がこなしています。
そんな「たけ屋」にはちょくちょく顔を見せるぶっきらぼうな男がいました。
地蔵さんはその男、雲月とはかなり中の良い友達のようです。
雲月は「たけ屋」の中をわが物顔で入り、慎吾が持ってきたお酒も勝手に飲み始めます。
そしてドスの聞いた話し方で慎吾に「たけ屋」の親子に対して、家賃は払っているのか?というのでした。
そんな雲月が苦手な慎吾でした。
どうして人の良い地蔵さんやヤスエばあちゃんがこんなガラの悪い雲月のような人間と付き合っているんだろうと思っていました。
地蔵さんは生まれてくる前に父親を亡くしていたので、父親を知りません。
なので子供の頃から母一人子一人の家庭でした。
それでも父の愛を感じているようなのです。
それはつけてくれた名前でした。
地蔵さんは名前が形見というのです。
恵三という名前は三男ではなく、3つの恵みという意味。
この世に生まれてくる喜び、親に愛される喜び、伴侶と一緒に子供の幸せな姿を見る喜びの3つなのだそうです。
3つ目の恵みは果たせなかった地蔵さんですが、昔は丈夫で、現場で働いていて、結婚もし、息子も生まれたそうです。
しかし息子が生まれてすぐ、現場の事故に巻き込まれて、脊髄を損傷し、脳挫傷も負ってしまったため、左半身不随という状態になりました。
自分の人生、運命を恨み絶望する日々。
地蔵さんは妻と子供の幸せのために、自分から離婚を切り出したそうなのです。
感想
美しい自然で生きる貧しい老齢親子「たけ屋」を舞台に物語が進みます。
この物語に登場する人たちには誰一人として悪い人間は登場しません。
そして森沢さんの小説らしく、この村の清流で取れる川魚などの料理のシーンもあります。
「たけ屋」の母子は、経済的には貧しいですが、心まで貧しくなっているわけではありません。
息子を思う母の気持ちも、母への感謝を忘れない息子の気持ちも十分伝わってきます。
地蔵さんこと福井恵三さんは、素朴な村の男という点では、「ヒカルの卵」のムーさんに、喋り方を含めて似ているのかもしれませんが、ムーさん以上の聖人のような方です。
そこには見たこともないけれど、自分に名前をつけてくれた父親への愛情がしっかりと根づいており、その気持のバトンを受け継いだように、幼い我が子の将来を考え抜いた末の決断だったのですね。
プロローグとエピローグに描かれている「天才仏師 榊山雲月」。
まさに職人、匠と言われる人たちに多いタイプなのかもしれません。
おそらく魂を込めて作業をしているときは何も聞こえず、周りの景色も消え、無の境地になる、そんな人物なのでしょうか。
このようにとっつきにくい人である雲月ですが、この村に移り住んだ当時も村八分のような状態。
そんな彼に分け隔てなく付き合い、彼の人となりを村の人達になじませてくれたのは地蔵さんでした。
地蔵さんは自分以上に不器用な生き方しかできない雲月には近しいものを感じたのでしょう。
妻と子供を失ったという点でも通じるところがあるんだと思います。
腕のいい仏師である雲月には分かれた妻と子供の養育費のみを支払っていますが、世話になっっている「たけ屋」への感謝も忘れていません。
慎吾にとっては、強面で苦手だった雲月ですが、職人として必要な心持ちを伝授します。
プロのカメラマンも素晴らしい写真を取るためにあらゆることを惜しみなく行う必要があるのです。
雲月が師匠である竹岡鉄斎から言われた言葉を伝えていきます。
”神は細部に宿る。だから、爪の先ほどでも妥協はするな”
慎吾と夏美という清々しい若者カップルを中心に、「たけ屋」という寂れた田舎の雑貨店を舞台に、ひと夏の物語なのですが、そこに榊山雲月という個性的なスパイスが効いていて、味わい深い作品でした。
それにしても毎度のことながら、森沢明夫さんの小説は読んでいて気持ちが良いですね。
そこにいる人たちとの心のふれあい、美味しそうな料理、ホロリと涙を誘うシーン、どれも素晴らしかったですね。
ドラマにもなっていたのですね。
テレビはあまり見ないので、全然知らなかったですね。