悪魔の尻尾

50代から60代へ~まだあきらめない

地球にやさしい「本当のエコ」 苫米地英人

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苫米地英人さんの本です。

通勤電車内で読んだものです。

もっと早く自分なりの書評を記録しておきたかったのですが、最近仕事で帰宅が遅くて帰宅後PCを起動していませんでした。
(言い訳)

 

目次

はじめに

第1章 エコロジーのウソ

第2章 表に出てきたシャドー・ガバメント

第3章 グローバルに展開されるエコビジネス

第4章 CO2を本気で削減するための林業復活プロジェクト

第5章 「エコ大国日本」を実現するために

あとがき

内容

地球温暖化の原因はまだ完全に解明されていません。
しかし多くの専門家が口を揃えてその原因をCO2といっているのであれば、現時点ではそれを削減することが大切だという立場で書かれています。

エコについては様々なメディアで語られていますが、そこにはほんとうの意味でのエコではなく、エコっぽいことを語って、お金儲けをしてやろうというのが隠れた本音です。
そんな中で、苫米地さんは、「本当の脱炭素」については「植物」「林業」こそがそのキーとなると語っています。

突如出てきたガソリン車ゼロ政策ですが、車から二酸化炭素が出なくなる電気自動車にしても、世界全体から見れば二酸化炭素の放出量は変わらない、むしろ増えるといいます。
走らせるだけの燃料で計算すると確かに電気自動車はガソリン車よりも炭素排出量は少ないですが、電気自動車を作るときに必要な電池の製造には莫大は二酸化炭素を排出します。

電気自動車を作るためのトータルの二酸化炭素排出量を論じずに、車を動かしたときの二酸化炭素排出量だけを比べて論じているのです。
脱炭素ということをホンキで考えているならば、Tank to WheelではなくWell to Wheelで考えるべきなのです。
Well to Wheelでは、11万キロを超えた時点で、ようやくガソリン車と電気自動車の二酸化炭素排出量が並ぶんです。
つまりそれまでは電気自動車のほうが排出量が多いんですね。
そしてさらに電気自動車では16万キロでバッテリーの交換が必要になっています。
コストを掛けて電気自動車を作って大切に長年乗っていて、やっとエコになったと思ったのもつかの間、バッテリー交換にかかるコスト、二酸化炭素排出コストがそこでガーンと跳ね上がるわけですね。
いかに電気自動車というものが「ニセなエコ」であるのかがわかります。

そして日本の基幹産業である自動車産業を「ニセのエコ」のために潰してはならないと考えています。

本当のエコのための電力の生産=発電においても、そこには利権がまとわりついていると考えています。
電力不足=原発再稼働というものがセットになっているのです。
原発利権とウォール街中国経済ガウラで手を組んでいる可能性も示唆しています。
エコロジーというものは名前だけ見て良いことだと判断してはいけない、その本音を見ると「ビジネス」であることを見破らなければならないです。

これらのビジネスを成功に導くのは世論という多くの人の共通認識みたいなものが民主主義では重要なのですが、それを醸成するのは情報を支配する人たち。
アメリカの前大統領であったトランプ氏を例に出し、彼のTwitterを一時的に凍結したTwitter社を批判しています。
その理由は一企業であるTwitter社がアメリカ大統領の権力を、言論という一部分とは言え、超えたということです。
トランプ氏の過激な発言が問題というものがあるにせよ、現役大統領の言論の自由が、企業の論理で封じられたということは事実です。
トランプ氏は大統領選挙で勝利して大統領になったのですが、マスコミはずっとクリントン候補を大統領にするような報道を続けてきました。
それはマスコミなどの情報を操る人々にとってクリントンが都合のよい政権だからなのです。
そしてバイデン大統領が就任して以来、大統領令が乱発され、これまでやってきたトランプの政策をすべてひっくり返したのです。
それは取りも直さず、情報を操る企業や人、つまり世論を醸成することができる一部の富める人たちの声によって重要な政策が決められているということになるのです。

パリ協定という地球温暖化防止のための世界的な約束事があります。
トランプ大統領がパリ協定を抜けた理由は中国がこれにアンフェアだとしたためです。
そもそもパリ協定で中国が「発展途上国」扱いというのが解せませんし、地球温暖化防止のための協定としての全く意味がありません。
中国という世界第2位の経済大国が「2030年までにはCO2排出量を減少に転じる」という約束をしているだけで、それまではCO2出し放題。
こんな頓珍漢な協定もないでしょう。

日本の自動車産業の危機に立たされているガソリン車ゼロという政策も、テスラ筋に踊らされた日本政府という構図があると説いています。


エコという美名とビジネスが結びつき、それと政治、世論の醸成などに触れつつ、日本がエコロジー大国として世界に誇れる国となるための指針を書いています。
脱炭素というよりも二酸化炭素を消費し酸素を供給する国へ大きく舵を取るという内容となっています。

 

感想

エコカーと呼ばれるハイブリッド車や電気自動車が本当はエコでもなんでもないという話はいろいろなところで聞いていましたので、目新しさはありませんでした。
しかし、このように明確に文章で書いてもらえると本当にわかりやすいです。
何よりも悲しいと思ったのが、日本の政治のありようでしょう。
世界と強調しなければいけないのはわかりますが、どう考えても世界でトップクラスの技術を誇る日本の自動車産業
あらゆる技術で世界に遅れを取ってきている日本において、自動車産業という唯一世界で戦える技術の粋が、電気自動車によってなくなってしまおうとしているのです。
その重大さを日本の首脳たちは理解しているのでしょうか。

テスラという会社はイーロン・マスクという極めてシンボリックな人物によって過大評価されていることは明らかです。
マスコミ、大衆の心理を巧みに利用して、テスラという何の技術もない会社をお金の上ではトップ企業にしてしまいました。
しかし、そのものづくりの精神は実に頼りないものです。
クレームもたくさんありますが、「あなたはただの高級車を買っているのではなく、未来を買っているのです」みたいな美辞麗句に惑わされて、「後日アップデートします」という言葉とともに未完成な品物を買わされているわけですね。
パソコンを例に取るとWindowsで不具合があると、アップデートやサービスパックと言ったもので修正するわけですが、そんな感覚です。

地球環境保護のシンボルとして話題になったグレタ・トゥンベリさんはアメリカをはじめとする西側諸国を攻撃していますが、こと中国にはその舌鋒を向けません。
なるほどそういうことかと、スッキリします。
苫米地さんはアメリカという国を散々叩いているので、中国寄り?という気もしていましたが、そうではなかったんだと改めて感じましたね。
第3章にある「グレタちゃんはなぜ中国批判をしないのか」と言うところを読むととても気分がスッキリしますね。

エコの話のみならず、現在の政治、官僚が政権に忖度するようになった理由も明確に書かれています。
内閣人事局」によって官僚のトップ人事は官邸が握ることになったためなのですね。

またコロナウイルスについても結構キナ臭い内容が書かれているので、その当たりもとても興味深く読めましたね。
コロナウイルスというものが人為的に作られたものであり、だからこそそのワクチンもスピーディに作ることができ、世界的にばら撒くため天文学的な金額を手にすることができたとするなら、という壮大なミステリー小説のような世界を想像してします。

トランスジェンダーに対する近年の風潮にも、零細な目でちょっと待ったをかけているのですが、その理由として「反対しづらいキーワード」というものを上げています。
エコロジーというキーワードがその「反対しづらいキーワード」ですので、少々胡散臭くても「エコロジーの観点から」と言われてしまえば、一概に悪いこととは言えないという空気を醸成してしまうんですね。
エコロジー」という美名を盾にずるいことをして金儲けをする輩を、強く批判したいという苫米地さんの意見には全くもって同意しますね。

こんなエセ・エコロジーに対して、批判ばかりをする評論家で終わらず、具体的な「本当のエコ」の提案もしています。
それが薪ストーブであるペレットストーブの提案。
これは現状、ペレットストーブの設置コスト、設置場所の確保など簡単なことではありません。
そして現実には灯油と比較してもランニングコストが安いとは言えない状況です。
そしてそのために日本の林業復活に触れています。
計算上では林業を復活することでCO2を消費し酸素を産出する若い広葉樹への切り替えで成り立つのですね。
林業って聞いて、終わっている産業という認識しかありませんが、それは産業としての取り組みが間違っているからで、世界を見渡しても国土の広さに対して日本ほど森林資源を持っている国はそんなにありません。
そして成長の早い広葉樹、更には若く成長する樹種を選定することにより、光合成による酸素排出と二酸化炭素の削減です。
それにより、日本は世界に冠たるエコロジー国家を名乗れると言うのですね。
実現の度合いはともかくも、理にはかなっています。



 

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