巨大マネーやVRビジネスと言う言葉がタイトルにありますが、お金、ビジネス面はほんの一部です。
目次
序章 VRビジネスの大潮流-熱狂はなぜ生まれたのか?
第1章 VRの現在-映画とゲームをつなぐものはなにか?
第2章 ハイエンドVRの夜明け-オキュラスはなぜ生まれたのか?
第3章 日本のVRビジネス-独自ビジネスモデルは生まれるのか?
第4章 VRからAR・MRの時代へ-これから登場するビジネスとは?
内容
序章ではVRが熱狂的に受け入れられた経緯について簡単に解説しています。
そしてニッチとされていたVRが突如注目を浴びるようになった大きな要因は、SNSで巨万の富を築いたマーク・ザッカーバーグ率いるFacebookがベンチャーでかつ一般的には全くのニッチであるOculusという会社を20億ドルという巨額のお金で買収したことです。
第1章はVRの歴史的な流れを簡単に解説。
それは映画産業とゲーム産業が引っ張ってきた分野です。
VRという概念はつい最近できたものではなく、かなり古くからありました。
しかしながらそれを実現するハードウェア、ソフトウェアともに未熟だったのです。
任天堂は先を行っていた尖った商品「バーチャルボーイ」というものを出していたのですが、あの商品と今のVRでは雲泥の差があります。
また日本語で言う「仮想現実」ということで以前ブームとなっていた「セカンドライフ」を例に取り上げ、第2のセカンドライフで終わらせないための課題も書かれています。
第2章はこの本でも度々取り上げられるオキュラスという会社についての解説です。
VR界隈を騒がせてきた主要人物数名が登場します。
まずはオキュラスを立ち上げた青年パルマー・ラッキー。
名前の通り、巨額のベンチャーによって巨万の富を手にした成功者ですが、彼はいわゆるMITやハーバードといった人たちとは違います。
ゲーム、とりわけVRが大好きなギーク、オタク青年。
あまりに夢中になりすぎるあまり、両親からも見放された青年です。
彼の試みを支えた第2のキーパーソンはゲームプログラマーとして有名な天才ジョン・カーマック氏。
VR似興味がなくてもゲーム好きな人なら知っている人も多いのですが、別名FPSの父とも呼ばれている人ですね。
FPSとはファースト・パーソン・シューティングの略称の通り、一人称視点でプレイするゲームで、とりわけ銃を持った兵士が敵を撃つというゲームが圧倒的に多いのです。
また、カーマックは3D描画された世界で自由に動くゲームを作るために開発したゲームエンジン、Unreal(アンリアル)エンジンを作った人です。
ゲームエンジンという発想も素晴らしいです。
idソフトウェアという会社を立ち上げ、現在の3D映像が作れなかった非力なPCの時代から擬似3Dのゲームなども作ってきた人です。
例を上げるならWolfenstein 3DやDOOMといえば分かるでしょうか。
Unrealエンジンはゲームだけでなく、映画やVR動画などの製作にも利用されており、若いパルマー・ラッキーをソフトウェア的な面で支えてきた人物ですね。
お金も知名度もなかったパルマーが一躍有名になったのも、すでにこの業界では超有名であった伝説的なプログラマーのカーマックとの出会いがあればこそです。
同じくプログラマーのマイケル・アブラッシュ氏もVRにおいては重要なエンジニアです。
メタバースという言葉が登場します。
映画「レディ・プレイヤー1」が描いた世界。
これは小説なのですが、すでに彼の頭の中にはこの世界を実現するための道筋があったのでしょう。
そしてFacebookのマーク・ザッカーバーグ氏ですね。
Facebookというソーシャルネットワークを当たり前にした人ですが、次なる時代のターゲットとして選んだのがVR技術だったわけです。
パルマーが立ち上げたオキュラスという会社は天才カーマックとアブラッシュによって、快進撃を始めようとしていました。
そこに巨大な資本力を持って買収したのです。
ここに来て懐疑的だった資本家たちも、このVRがビジネスとして伸びていくに違いないと思ったトピックと言えそうです。
読み応えがあります。
オキュラス社を立ち上げたパルマーはオタク人間です。
そして彼は日本のゲームやアニメといった文化に興味がある人物なのでした。
PCゲームとりわけ、その中では圧倒的な存在感を持つFPS
日本には海外に先んじたゲーム機、コンシューマーゲーム機という文化があります。
しかし、VR文化を支えてきたのはPCゲーマーたちなのです。
そんな中2016年にPS4をベースとしたPSVRは衝撃的でした。
完成度は高く、その価格は驚くほど安かったのです。
一方欧米でのVRとは=Realityが重視される世界、つまり「あたかも現実」のようであることが重要なのです。
しかし、VRはそのコンセプトだけが独り歩きしているのではなく、VR HMDというプラットフォームが普及してきたことで、そこで作られていくコンテンツが増えていくと、さらなる発展が見込めるというのです。
セカンドライフのときには、仮想現実の世界というコンセプトをセカンドライフというサービスだけで実現しようとしていたので、それがコケてしまったら何も残らなかったのですね。
感想
今更になって、再度読み返してみました。
今楽しめている世界というものがどうなっていくのか、考えているだけでワクワクしてきます。
VRが進み、MRの究極のかたちが到達した時、なんだか怖いような気もします。
「夢を見たことはあるか?現実としか思えないような夢を。」
「夢から起きられなくなったとしたら、どうやって夢と現実の世界の区別をつける?」
「現実とは何だ?“現実”をどう定義する?」
「現実とは君が脳で解釈した電気信号にすぎん」
これらのセリフを思い出します。
そうです、マトリックスの世界なのですね。