悪魔の尻尾

50代から60代へ~まだあきらめない

通勤列車内での一コマ

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通勤車内での一コマ。
高齢の女性が乗り込んできました。

満員とまではいかないまでも、座席は全て埋まっています。
女性はしっかりとした声で言いました。
「席を代わってくれませんか」

若い女性後すぐに立ち上がり、高齢女性は座りました。
白髪なので高齢女性であることは誰が見てもわかります。

シルバーシートにも若い人が座っていますが、空いていれば座るのは良いと思うのです。

空いているのに座らずに立っている方が、スペースの有効利用という点では、良くないですからね。

私はシルバーシートでも空いていれば座らせてもらっています。
年配の人が目の前にいたら、代わってあげたりもしますね。

でも、自分がいくら疲れていようが、席を空けてくれなんて、声に出して言うことはなかなかできそうにありません。

多分これから年齢を重ねて、堂々とシルバーシートに座る年齢(それが何歳なのか判断に悩みますが)になったとして、声にして「空けてください」とは言えそうにもありません。

言える人は、座れるわけですが、言えない人もたくさんいると思うのです。

この世の中、声の小さい「サイレント・マジョリティー」はたくさんいます。
というか、ほとんどの人はあまり声高に叫ばない人たち。

でも多くの人の静かな意見よりも、声の大きい人、問題を大きくする人の意見が通るのですね。
声を上げないと、伝わらないのですが、大人しく伝えるとあまり相手にしてもらえず、大きな声を張り上げて、物々しく言う人の意見は通りやすかったりするんです。

世の中、こんな「ノイジー・マイノリティー」が増えてくると困ります。
まあ、実感として、声を上げる人は年々増えているかな?と思っていますけどね。

増えてきて多数派になればむしろマイノリティーではなくなりますね。

考えたくもないですが、「ノイジー・マジョリティー」というのが普通になってしまえば、それが「当たり前」になり、日本人の特性のようになってみんな声が大きくなってしまう。
 
譲り合う精神、思いやりの心、相手を思う心遣い、こういった美しい部分はドンドン損なわれて、そういう人を「バカ」と呼ぶようになったり。

そうなると、世の中の仕組みが変わったということになるのでしょうか。

悲しくなりますよね。
 
と、こんなことを書きながらも、自分に問いかけています。
自分はどれくらい周りの人のために心を砕いているか?
周りの人の迷惑にならないように生きてきたか、と。
 
あまり人のためになることをしてきたとは言えないですね。
かと言って、周りに人の迷惑になるような生き方をしてきたつもりもないのですけどね。
 
 
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