悪魔の尻尾

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オリンピック中止の決定はいつ?

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今日は母の日ですよね。
私の母は、当然ながら高齢なのですが、割としっかりと健康に生きてくれています。
大抵のことは自分でできます。
健康に生きるという事がとても大切なことだと思いますね。

母はテレビをよく見ます。
亡くなった父もそうですが、高齢者にとっては手軽に楽しめる道具です。
そんな中、4年に一度のオリンピック競技を見て楽しんでいます。
父はスポーツが得意なタイプでしたが、恵まれない家庭環境でスポーツは全くさせてもらえず、中学卒業後はずっと働き詰めの人生でした。
スポーツで活躍する人に対しては、自分の人生と比べてしまって、面白くないのか、スポーツはあまり見ません。
母は運動神経というものをどこかに置き忘れたのか、とても運動が苦手なタイプです。
体を動かすこと自体は嫌いではないので、太極拳なんかも健康のためにやっています。
私がスポーツは好きなのですが、何をやってもパッとしないのは、母の血を濃く受け継いでいるんだろうと思ったりします。

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オリンピック中止の決定はいつ?

さて、オリンピックの中止の決定はいつ出すのか?
という点にちょっと注目しています。
母のようなオリンピックをテレビで見ることが好きな人もいますが、過去と比べて多くの娯楽やレジャーがある時代です。
見て楽しむオリンピックよりも、レジャー施設などを利用して楽しみたいという声も多いです。
それらを利用できない不満もありますし、それを生業としている人たちも非常に大変な状況です。
海外メディアからは、オリンピックというイベントを食い物にしている人たちのために、コロナ対策も不十分なまま開催を強引に進めようとしている日本に対しては冷ややかな意見しか聞こえてきません。
オリンピック開催によって、コロナが拡散するようなことがあれば、その責任は「日本」にあるという論調の海外メディアも多いのです。

 

綺麗事しか言えない人たち

首相の言う「コロナに勝った証としての開催」なんて本当に政治家を含めた上層部の満足でしかありません。
元首相以上に責任があると個人的には思っている安倍前首相は、「オールジャパンで対応すればなんとか開催できると思う」なんてコメントを発しています。
お二方の意見を見て、開催ありきなのですが、どちらも重要な決定権を持った人としては、綺麗事を並べただけの陳腐なコメントだなと言う印象しかありません。
まあ、今に始まったことではないですよね。

コロナに勝てるかどうかなんてわからない、ギリギリのところにまで追い込まれている人たちや企業、飲食店などに対して、よくもまあ言えたものだと思うのです。
そしてすでに崩壊が始まっている医療に対して、どうしろと言うのでしょう。
ボランティアの辞退も増えていると思います。
そりゃそうでしょう。
自らの生活が足元から脅かされている状態で、お国のために「オリンピック」をやろうと思って、行動している人は「マイノリティー」なんです。

少数意見を無視しろとは言いません。
でも世の中の人々がどう感じ、どうやってほしいのか?ということもしっかりと反映しなければならないと思うのです。
もちろん、国民の要望ばかりを叶えろとは言いません。
時には厳しいことを言わなければならないこともわかります。
しかし、国民に要求ばかりを押し付けて、何ら具体的な方針を出せていない現状を見ると、非常に「拙い」としか思えないですね。
昨年1年間何もやってこなかったということに等しいです。

オリンピックとは

オリンピックが開催されるようになった経緯としては、各国における競争の激化で対立が激しくなり、結果「戦争」という外交手段となることを防ぐためです。
そこにはスポーツにおける、正々堂々、フェアな精神というものが本来あるのですが、一方で「メダルの数」という国力のバロメーターのために、外国人選手の帰化やドーピングと言った、とてもフェアとは言えない部分もあります。
スポーツの姿を見て「感動」というのも大方はマスコミに作り上げられた「物語」でもあり、オリンピック自体が大きなショーで、国民は冷めています。
マスコミや関係者がこぞって作り上げる「感動」や「美談」はほんとうの意味での「感動」にはつながらないです。
話がそれてしまいましたね。
平和の祭典としてのオリンピック。
ロサンゼルスオリンピックが転換期だったと思うのですが、オリンピックにも商業主義が持ち込まれました。
ビジネスとしての側面もあります。
それを否定する気はありません。
むしろ、いかなるイベントもその費用という面、運営というものを考慮して、行うのが当たり前です。

 

トップの役割

そう考えると、こんなギリギリまで中途半端な形で開催すると言い続けている現政権には「意思決定」というものの重要性がわかっていないのかな?と思ってしまいます。
リーダーたるものは、一度決めたことは絶対に覆さないという強い「意思」も時には必要でしょうが、私としては「朝令暮改」も全然オッケーと言う感覚のほうが強いです。

むしろ、変化が激しく、スピードが求められる現在にあって、「朝令暮改」できない人はダメだろうと思います。
「零細企業のトップじゃないんだから、朝令暮改はあかんで~」という声も聞こえてきそうですが、そこは「正々堂々」と詫びればいいと思うのです。
大切なのはその時点で一番良い選択をすること。
そしてトップというのは重要なことに対して意思決定をすることです。
責任も当然重大です。
武士なら「腹を切る」覚悟ですね。
トップというものは常にそういった「覚悟」と背中合わせなスリリングな「仕事」であるはずです。

決定を覆すタイミング

決定したことを改める場合、ギリギリに変更されるのと、早めに変更するのとでは、早いほうが良いと思っている人が圧倒的でしょう。
末端の電話対応でのクレームでも、「早期」に手を打てば、なんてことない場合が多いのです。
クレームになるのは、「初動」の拙さというのがとても多いのです。
そういう意味で、「オリンピックの中止」決定は早いに越したことがないのですが、ギリギリまで頑張るという方針を立てたものだから、「メンツ」にこだわっているのかな?としか思えないのです。
ダメな組織、アホなトップの典型的な例ですね。
私の論調は「中止ありき」で申し訳ないのですが、開催しても中止しても、とてつもなく巨額の損失を計上するのは避けられませんね。
今更とやかく言っても仕方がないですが、「オリンピックの開催」と「国民の生活の不安」とを天秤にかけた場合、どちらが重要なのかはわかりきっていることです。

こんな基本的なこともわからない人たちが国を動かしていることがこの国をおかしくしていっているんだろうなと思うのですね。




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