悪魔の尻尾

50代から60代へ~まだあきらめない

友人と言っても色々ある

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友人もいろいろなタイプがあります。
親友と呼べる人が一人でもいれば、十分という人もいますし、友人はたくさんいないとダメだという人もいます。
心から信頼できる「親友」と呼べる人がいるでしょうか?
仲の良い友人というのはいても、その人のためなら自己犠牲をいとわないと言い切れる友人というのはなかなかいないものです。

〇〇友とかいう言い方がありますが、SNSなどでつながることが本当に簡単になった時代です。

竹馬の友
同じ釜の飯を食った仲
戦友
このあたりの「友」とは随分と違う感じがしますよね。


年配の人になると、中国の歴史から来ている友人関係の濃さを表す言葉を例にすることも多いようです。

刎頚の交わり
水魚の交わり
断金の交わり
管鮑の交わり

今日は刎頸の交わりについてちょこっと書いておきます。

 

刎頸の交わり

刎頚の友という言い方をする場合もあります。
文字通り、首をはねられても悔いはないほどの関係ということです。
「あなたのためなら私は喜んで首をはねられよう」とお互いに近いあった関係なのです。
秦の始皇帝が登場する以前に趙の国の大政治家となった藺相如(りんしょうじょ)と当時、歴戦の名将である廉頗将軍との友人関係を表した言葉です。

 


完璧という言葉

藺相如は史記の作者である司馬遷からも最大級の評価をもらっている大政治家です。
軍を率いて他国の侵略を防いだとか、奪われた城を奪い返したとかそういう軍人タイプではありません。
当時の偉人はなんらかの軍事的な地位のある人が多いのですが、藺相如にはそういった武勇を示すようなことはないようです。
外交において、その優れた知恵と胆力で切り抜けてきた人です。
「完璧」という言葉がありますが、この言葉のもとになった故事も藺相如が元になっています。
完璧という言葉がの「璧」という文字が「壁」ではないということを知っている人はこの故事を知っているのだと思います。
どうして「壁」じゃないんだろう?と思っていました。
璧というのは中国での宝玉のことで、祭事に使われたと言います。
ドーナツのように真ん中に穴の空いた丸い形の宝玉です。
その中でも「和氏の璧」(かしのへき)と呼ばれる宝玉が特に有名で、世の権力者は欲しがったのでした。
この「和氏の璧」という言葉にも故事がありますが、それは話が長くなるのでやめておきます。

時代は秦始皇帝が中国を統一する前の春秋戦国時代の話です。
この素晴らしい「和氏の璧」と15の城を交換すると秦王は隣国の趙に話を持ちかけるのです。
当時の趙にはこの「和氏の璧」がありましたが、趙という国は弱小で秦は強大でした。
趙王は悩みました。
重臣たちに相談したところ、「和氏の璧」は差し出すしかないだろうと言います。
しかし秦王は約束を守らないだろうとも言います。
それに「和氏の璧」を秦に持っていって交渉をまとめるということができる適任がなかんかいません。
藺相如をすすめるものがおり、趙王は彼に相談しました。
彼はこの交渉において、「璧を渡さなければ、非は趙にあり、逆に璧を取り上げて城をわたさなければ、非は秦にある」と言います。
その上で、まずはその申し出は受けるべきだとし、その上で秦が城を渡してくれれば璧は置いて帰り、秦が城を渡さないなら、壁を完(まっとう)して、趙へ持ち帰ってくると言いました。
この言葉から「完璧」という言葉が生まれたのです。
いずれにしてもとても大変な交渉です。
この交渉でも秦王の本音はやはり見え透いてました。
秦王は璧だけもらえば、城を渡す気はなかったのです。
璧をこっそり使者に持ち帰らせ、藺相如は秦王に言います。
「秦王がこれまで約束を守った例はない。でも約束を守る用意があるなら、城を渡して受け取りに来れば、趙王は約束を守る。しかしながら、秦王に嘘をついた自分はやはり罰を受けなければならないが、もとより覚悟ができているので、いかなる処置も受ける」
秦の重臣たちは殺してしまおうとしますが、秦王は「彼を殺しても璧が手に入るわけでもなく、趙との関係が悪化するだけで意味がない」と考え、逆に藺相如をもてなして帰国させます。



藺相如の出世

藺相如はこの大役を見事に果たしました。
城は受け取れませんでしたが、璧も取られなかったのです。
まさに「完璧」でした。
これによって上大夫という身分になりました。

数年後、秦は趙を攻めます。
そして多くの趙の兵に被害が出ました。
ところが秦は和議を求めて使者をよこしました。
趙王は秦が信用できないため、和議には行きたくないと言います。
歴戦の名将廉頗将軍は趙王に「行かないと秦に侮られるので行くしかない」と告げます。
趙王は藺相如にも相談すると、彼も「同じ考えで行くしかない」と言います。
ただし、その交渉に自分もついていくといいます。
秦王は趙王を迎えます。
秦王の振る舞いは趙をを見下すが如くでしたが、その都度、藺相如はそれに対抗し、どちらの王も同格であることを示しました。
秦の外交戦略は失敗に終わりました。

この交渉の成功により、藺相如は更に出世し、廉頗将軍より位は上となりました。

 

廉頗将軍

弱小と見られていた趙が強国である秦が本気で手が出せなかったのは歴戦の名将廉頗将軍の存在でした。
その名は内外ともに知られたものです。
しかし、幾多の戦を経験している廉頗にとって、食客にすぎなかった藺相如が急激に出世し、自分よりも上の身分になったことが面白くありません。
彼は、至るところで藺相如の悪口を言うのでした。

そんな話を耳にした藺相如は、廉頗将軍を避けるようになります。
高い身分になった藺相如には多くの家臣がいました。
しかし廉頗将軍を避ける藺相如に不満を抱き、なぜ避けるのかと訴えます。
廉頗将軍が怖いのか?と。
家臣にとってはコソコソと避けるご主人が情けないと映ったのです。
藺相如は家臣に告げます。
「秦王と廉頗将軍ではどちらが怖いか?」
家臣は即座に「それは秦王です」と答えます。

家臣に対して
「その秦王と二度も堂々と渡り合ってきた私がなぜ廉頗将軍を恐れるのだ。
強大な秦がこの趙を攻めてこれないのは、廉頗将軍という優れた人間がいるからだ。
自分と廉頗将軍の関係に問題があれば、そこを秦につけこまれる。
だから個人の争いよりも国家のほうが大切だと思うから、私的な諍いを避けている」
と言いました。
家臣たちは深く感動し、主人である藺相如にわびます。


藺相如に詫びる廉頗将軍

たちまちこの話はうわさとなり、廉頗将軍の耳に入りました。
廉頗将軍はプライドは高い人物でですが、藺相如と同じく、趙の忠臣です。
自らの小さな心に対して恥じる気持ちもとても大きなもので、藺相如に詫びなければ自分の気持が収まらない状態になったのです。
廉頗将軍は藺相如の屋敷に訪問します。
これまでできるだけ避けてきた藺相如ですが、訪問してくれた廉頗将軍に会わないのは非礼となります。
その姿を見て藺相如も驚きました。
裸の姿で、いばらのムチを持ってきており、心ゆくまでムチで自身を打ちつけてくれといいます。
藺相如の深い心を知らず、これまでの自分の態度を深くわびているのでした。
藺相如は感動します。
そして二人は酒をお互い酌み交わし、ともに相手のために首がはねられるようなことがあっても悔いはないということから「刎頸の交わり」と呼ばれるようになったということです。

人物はいないものだけど

今の時代の政治家や官僚に、あまりに多くを求めてはイケないのだと思うが、本来国のことを思い、覚悟を決めて仕事に当たるというのが政治家です。
言葉の上では、こうした古い言葉を持ち出して来ますが、随分と覚悟が違うのだろうなと思います。

忖度なんて言葉自体がまるで正反対です。
泣いて馬謖を斬る」なんてこともできないでしょうね。
「忖度」のために「詰め腹を切らせる」なんてことがまかり通っている気がしますね。

 

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