テレビの番組でCMの回数がとにかく多くなった気がする。
まあ、テレビもスポンサーがあって、番組を作ることができるのだから、CMを入れるのは当然。
だけど、最近のCMの頻度は凄い。
番組が始まる前に、期待を煽るようなシーンを何度も何度も流して、視聴者の興味を引く。
そして、番組の冒頭でも思わせぶりなように、チラッと流し、CMの間にもそのシーンを挟む。
やっとそのシーンのところに入ると見せかけて、またまたCMを挟む。
そしてCM明けにようやく見られると思っていたら、「結果はCMの後に」というような展開。
まあ、いろいろな心理学を応用した手法なんだろう。
そこまで辛抱して見た内容が、がっかりだったら、かえってマイナスイメージになるのでは無いか?と変な心配をしてしまう。
何でもやりすぎは良くない。
情報の入手先
昔から情報は大事なものである。
知っているのと知っていないのでは、大きな差がある。
昔は新聞、そしてラジオ、テレビと進んできた。
もちろん本というのも歴史が古いメディアだ。
およそ30年ほど前にインターネットが普及をしはじめた。
21世紀になってからは加速度的に普及し、今や完全にインフラとなった。
文字情報である新聞、本を飲み込み、ラジオを飲むこんだテレビをもいまや呑み込もうとしているインターネット。
新聞、本、ラジオ、テレビ。
いずれのメディアも提供者と消費者という図式である。
インターネットの時代にもその形態での提供が中心だが、個人がつながっていき、発信者となっていく時代。
もはや一方通行の情報提供社だけではない。
テレビ
情報、メディアの世界で天下。
今もインターネットの時代と言われつつも、影響力は凄まじい。
テレビで放送していた話題がTwitterとかでも話題になったりするくらいだから、まだまだテレビの力は強いということ。
子供の時代に、教育者なんかがテレビで「テレビはけしからん」とか言っていた。
低俗な番組が子供に悪影響だとか、社会の規律を乱すもとだとか、そういう話題でね。
教育番組のようなものしか子供には見せないとか言っていた。
でも、視聴率が取れてクラスで話題になるのは、決まってそういう番組である。
影響力が強いのはどちらかと言うのは考えるまでもない。
NHKの受信料
毎度話題になるネタ。
公共放送というのなら、もう税金にしてしまって、NHK職員もみんな公務員でいいのに。
そして彼らの給料も公務員ということで、それに準ずるわけ。
電波の押し売りをやっておいて、拒否権もないなら、税金と同じような扱いにすればいいのにと思う。
個人的にテレビをあまり見ない方なので、NHKがなくても別に困らない。
そもそもBSやCS放送がスクランブル放送となっている。
技術的には難しくないどころか、地上波デジタルは全て暗号化されているので、すぐにできることなのである。
なぜ、しないのだろう?
NHKは回答しているが、言い訳にしか聞こえない。
この論理は突き詰めれば、国営化しかなく、税金でまかなえって話になる。
中途半端に利権を持っているとろくなことがない。
N国なんていう政党ができた意味を考えてほしい。
独占ではなく、競合他社がいる携帯通信料金に口を挟むくらいなら、独占的なNHKをなんとかしてもらいたいものである。
新聞
新聞は母が必要なので購読しているが、私はもう長い間、新聞を読んでいない。
個人的には新聞紙を読むという習慣を止めたと言ってもいい。
それに代わるニュースはたくさんある。
新聞もWebで出しているので、必要ならそこから購入するなりしてみればよいのである。
定期購読する理由がない。
高齢の母にとっては新聞はなれた読み物で、新聞のテレビ欄がないと落ち着かないようだ。
今やテレビの番組表なんて、テレビ自体にあるのに・・・。
いや、違う、新聞はネットとは違って、その情報の信頼性は高い。
なのでインターネット全盛のこの時代でも存在価値はある、という方もいる。
はて、どうだろう?
インターネットか、新聞紙なのかという議論は意味がない。
新聞の記事の元ネタも、ネットで流れているネタも元のネタは同じなので、そもそも品質にもそんなに差はないと思う。
雑誌
雑誌も買わなくなった。
読みたいものがあれば買うかも知れないが、読みたいという気持ちが湧くような記事がない。
下世話な週刊誌ならサブスクリプションサービスで十分だ。
dMagazineを継続して購読していたが、やめた。
だからといってすごく読みたいということもない。
安いので継続していてもよいが、読んでいる時間が無駄かな?と思ってしまった。
購読しているとどうしてもそれを見ようとする。
たくさんの雑誌があって、それは楽しめるものでもあるのだが、なくても特に困らない。
読みたくなったらまた始めればよいだけのこと。
ブログ/SNS
確かに個人で書いているブログの情報の信憑性は低い。
編集者がチェックをしたりということもないから、間違ったことを書いていても、誰かが指摘してくれない限り、そのままである。
誤字脱字なんて普通にあるし、文法がおかしい文章や、論理的に破綻している文章もたくさんある。
だからと言って、テレビや新聞は信頼性が高いのだろうか。
確かに多くの人の目に触れるから、チェックされ、ひどい場合は多くの人から非難を浴びる。
そういう国語テストみたいなところでは確かなものになっている。
でもね、情報を得たい人が欲しいのはそこじゃないんだよね。
共同通信やらロイターやらが発信したものを書き直した記事ではなく、独自色のあるネタ。
インターネットで書かれていない新鮮な話題やその説明。
SNSはその点ものすごくスピードが早くて、新しいネタに対しての独自のコメントなどがすぐにネット上に現れる。
やはりそれを読むと何らかの影響は受けるわけで、その力は年々増している。
もはやただの個人でも、絞り込んだ分野ではものすごい影響力を発揮する。
インフルエンサーがその代表的な存在。
新聞に書かれている文章なんとかならないか?
分かりづらいものが多い気がする。
わざとわかりにくくして読者を煙に巻こうとしてないか?
個人ブログ、企業ブログ
ブログって個人でやるものと思っていたが、そうでもないらしい。
大きな会社が企業内で担当を決めて書かせているブログもかなりの数がある。
そしてそれらはやはり個人ブログよりも強い。
情報の正確性、詳細さ、デザインなどを含めた質は個人ブログでは太刀打ちできない。
で、有益なブログなら、やはりアクセスも多く、私もよく利用させてもらっている。
まとめ
というわけで、これまではマスコミ、マスメディアがものすごくもてはやされた。
今も圧倒的な力があるのは間違いない。
ただ、段々と巨大なメディアから個人レベルのメディアへと個人の視点がシフトしている。
もちろんすべてが個人メディアになることなんてありえないし、これからもマスメディアは力を持ち続けるが、個人の影響力というものがクローズアップされていく時代。
だからこそ、我々個人も、ブログなんかを書きながら、発信する能力を高めていきたいものだ。