5日ほど前に購入。
なかなか読む時間が取れなかったが、本日読了。
太平洋戦争について書かれた本は多い。
「永遠の0」などでも当時の軍部のTOPと現場との意識の乖離が相当厳しく描かれているが、あくまであの作品は事実を元にした小説である。
そこには脚色や誇張があっても不思議ではない。
その点この本は著者自身が軍部の中枢にいた人物であり、情報軽視した軍部トップ達、大本営をただ批判するだけではなく、この戦争が負けるべくして負けた理由とともに、情報をどう入手し、その真贋を見極め、どう活かすかということを書いている。
情報化社会と言われて久しい。今でこそ情報の価値を疑うものはいないが、すべての情報が同価値に並ぶものではないし、信憑性、有用性など見極める眼が重要だと改めて感じる。
失敗して左遷になったり、クビになって仕事を失ったりしても命までは奪われないが、戦場では即生死に関わる重要なことである。
この本のまえがきにもあったように大部分は太平洋戦争での闘いの中での記述が中心となっている。
多くの書籍や評論家が言っているように「補給」「情報」を軽視したことはこの本も同様に書かれている。
「物量」(この著者は「鉄量」という言葉だが)などの比較ではなく、「精神論」をお題目のように唱え続けた大本営幹部たちへの批判も同様な部分が多い。
軍人=悪人、戦争=悪という単純な思考からこういう本を読んでいない人はすでに思考停止している。
この著者である堀栄三氏は素晴らしい軍人であった父からの影響も大きいが、同様に素晴らしい大先輩たちからいいタイミングで指導を受けた。
それらの先輩たちからの教えには、素晴らしい言葉があり、単純な言葉であるが、奥が深い。
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・大本営陸軍参謀に補す
無天組の叩き上げの軍人であった父からの言葉
「情報は結局相手が何を考えているかを探る仕事だ。だが、そう簡単にお前たちの前に心の中を見せてはくれない。しかし心は見せないが、仕草は見せる。その仕草にも本物と偽物とがある。それらを十分に集めたり、点検したりして、これが相手の意中だと判断を下す。」
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ノンキャリアながら叩き上げで出世を果たした父親。受けた影響は大きいと思う。
こういった人物の経験にまさるものはない。
残念なのは上層部にそういう人物がおらず、意見も通らなかったこと。
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・意表を衝いた陸大入試
土肥原大将からの言葉
「戦術は難しいものではない。野球の監督だって、碁打ちだって、八百屋の商売だってみんな戦術をやっているのだ。ただ兵隊の戦術は軍隊という駒を使って、戦場という盤の上でやる将棋だ。だから、いまこの場面で相手に勝つには、何をするのが一番大事かを考えるのが戦術だ。要するに駒と盤が違うだけで世の中の誰もがやっていることだ」
「そのためには枝葉末節にとらわれないで、本質を見ることだ。文字や形の奥の方には本当の哲理のようなものがある、表層の文字や形を覚えないで、その奥にある深層の本質を見ることだ。世の中には似たようなものがあるが、みんなどこかが違うのだ。形だけを見ていると、これがみんな同じに見えてしまう。それだけ覚えていたら大丈夫、ものを考える力ができる」
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土肥原将軍といい、父といい、話の表現は常に平易であったが、何となく年季の入った深い味わいがあった。二人とも教科書にあるような言葉はいっさい使わないで、知識を知識らしくなく、体臭のように身につけていた。「試験官はお前の目と顔色を見ている。それがお前の表情という仕草だ。その仕草を通して、お前の心の中を見ているのだ。これが人と人との情報戦争だ」
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父親に進められて会った人物。父と同様、清廉潔白な人物だったようである。
真髄を理解しているからこそ言える言葉なのだと思う。
難しい言葉で一方的に話をすすめるエリートたちとは全く違う。
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・陸大参謀教育の実態
こうした戦術教育の形式では、何が一番大事かを、土肥原式に考えるよりも、「教官の原案はこうだろう」と先読みして、自分の案を出す傾向は否定できなかった。その上、太平洋戦争が始まってからは、教官も次第に小粒になって、このような学生を見破って本筋の思索を要求するような大物教官は少くなってしまった。
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・米軍軽視の皮相な戦訓
ただ一部の学生たちは、自己を忘却し、いたずらに教官に迎合して成績本位に走る傾向が見られたことも事実であったが、それはどこの社会にもあることであろう。しかも優等生という者にそれが多いというのも皮肉だが、結局教官に思い切り自分をぶつけていく者だけが、自分を作り上げていくようであった。
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試験に強い生徒がエリートとして中枢に入る。本質を見抜く力は養えない。教官もそういう生徒を評価し、若い才能を見抜く力もなかったのだろう。
人物が小さいのだろう。
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・戦史講義で得た教訓
鉄量を破るものは突撃ではない。ただ一つ、敵の鉄量に勝る鉄量だけである。
猪突猛進、「タマに当るから弾丸」だという精神主義から、最後まで脱却しえなかった。
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今でこそ当たり前の考え方だろうが、当時の軍部ではそういう発言自体が批判の的になっていたと思うと悲しい。
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・陸大だけが最終目標にあらず
寺本中将からの言葉
「陸大だけが人生の最終目標ではありませんぞ、陸大は一つの通過駅で、そこで何を汲み上げたかが大事なこと、そしてそれを元にしてこれから以後どう生きるかが、もっと大事なことですよ。」
椅子の権力を自分の能力だと思い違いしている人間ほど危険なものはない」
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この寺本中将は几帳面で優れた人物。そして言葉からもわかるように下に優しく接する人物だったのではないだろうか。
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要は陸大を出て枢要なポジションに就くと、そのポジションに付随した権力をまるで自分が持って生れてきたかのように私物化し、乱用する危険を戒めたものであろう。
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肩書でしか判断できない人物は通用しない。
官僚の内部や会社の内部では肩書で勝負できても、実際の戦争やビジネスの最前線では全く通用しない。
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・情報部のドイツ課とソ連課
「情報とは相手の仕草を見て、その中から相手が何を考えているかを知ろうとするものだ」と書いたが、相手の心や手の内をそのまま相手から聞けたら、これに越したことはない。
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確かに。肩書のある人物はきちんと仕事をしてほしいものである。
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・米英課に移された“落第生”
大本営とは陸軍の俊才が集まるところであった。俊才とはこんなときに、わかった顔して引き受けるのだろうか。目から鼻に抜ける人間が天下の俊才というのだろうか。
嘘でも丸めて本当のように喋るのが大本営参謀であろうか。しかし、どうもそうらしい。
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試験に強いエリート、出世しやすいエリートばかりでこんな人物ばかりになってしまったのだろうか。
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大本営は周章狼狽する。打つ手が後手後手になっていく。そのツケは、当然ながら第一線部隊が血をもって払わなければならなくなる。
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トップが判断を間違えると下についている人は死ぬしかない。
責任逃れがうまい人間ばかり、要領のいいやつばかりで実戦に使えないエリートたちだらけだったのだろうか。
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・教えられた「愚鈍の戦力」
一体、何のために集団長の官姓名まで覚えさせなければならないのか? こんなことが上手なのと、軍の戦力と、どう関係があるのか、軍隊の中には、ほかにももっとくだらない事が沢山あるのではなかろうか、そんな戦力にも関係ないことを整理したら、兵役は二年のところを一年ですむのではないだろうか、堀はこのとき以来、軍の形骸化ということを考えるようになった。
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軍という組織には規律はもちろん必要だが、本質的なところではないところばかり。
上司の名前や誕生日、好みを知って胡麻をするのには役立つが・・・。戦争の本質とは関係ない。
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「俊才は絶対に勇者にあらず、智者も決して戦力になり得ず」
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使えないエリートたちばかりを作っていたのだろう。
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・中将の「必勝六法」講義
「日本の軍刀組といわれた連中たちは、クラウゼヴィッツの原則の表面の字だけを覚えて、その奥の深層に迫ろうとしなかった。軍人には軍事研究という大へんな仕事があったのに、軍の中枢部の連中は、権力の椅子を欲しがって、政治介入という玩具に夢中になりだした」
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現代の霞が関のトップも大企業の社内政治も悲しいかな同じようなものだろう。
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戦法研究の深層
この問題は、単に軍事の問題ではなく、政治にも、教育にも、企業活動にも通じるものであり、一握りの指導者の戦略の失敗を、戦術や戦闘で取り戻すことは不可能である。それゆえに、指導者と仰がれる一握りの中枢の人間の心構えが何よりも問われなくてはならない。出世慾だけに駆られ、国破れ企業破れて反省しても遅い、敗れ去る前に自ら襟を正すべきであるが、その中でも情報を重視し、正確な情報的視点から物事の深層を見つめて、施策を立てることが緊要となってくる。現在の日本の各界の指導者は果してどうか。
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現場が頑張るのは当然だろうが、基本戦略が誤っていれば、
犬死である。現場の頑張りでどうこうできるようなものではない。
トップに居るものは責任を感じて欲しいと思う。
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日本軍とは桁違いの米軍諸教令
米軍と日本軍とは実に二十余年の開きがあった。「軍人には軍事研究という大へんな仕事があったのに、軍中枢部の連中は、権力の椅子を欲しがって政治介入という玩具に夢中になりだした」とはウェワクでの寺本中将の言葉であった。まさに然りである。
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戦後処理の部分にも強い思いがでている。
勝てば官軍。勝者はなんとでも言える。
原子爆弾投下を正当化されてしまった。
そのあたりのことも終盤には数多く書かれている。
軍人というものについても一括りに出来ない。
ひとつは本来の戦争責任を負うもの、この悲惨な戦争を起こした一部のエリートたち。
そしてもう一つは命令を受けて命をかけて戦ったものたち。命令を受けたら戦うのが軍人。
世間は軍人と言えば、味噌も糞も一緒にしているのを、戦闘軍人と戦争指導軍人は異なっていると
戦後も情報のエキスパートとして自衛隊に入った著者だが、そこで繰り広げられているエリートたちはやはり本質は同じ。
いかに責任を逃れ、美味しい果実のみを目指しているだけ。
さぞや落胆したと思う。
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権力者に都合の良い者たちだけが中央の要職を占めたのは残念極まることであった。政治や企業、各種団体にもきまって見られる弊害ではなかろうか。
- 作者: 堀栄三
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
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