悪魔の尻尾

50代から60代へ~まだあきらめない

そして父になる

テレビで放映されていた。
録画していたものを見た。
話題にもなっており、実際にこの映画にあったような実の話がニュースにもなっていた。
実話で有る話はたったの6年間ではなく数十年経過した後のことだ。

ここで描かれる二組の親子。あるいは夫婦と言えばいいのだろうか。
男前で傲慢なやり手のビジネスマン役に福山雅治。妻役には尾野真千子
なんとか電器店をやって暮らしている冴えないオッサンがリリー・フランキー。妻は真木よう子
エリートビジネスマン、ちょっとしたセレブな感じの夫婦とくたびれた感が半端ない庶民夫婦という対照的な夫婦。
子供はそれぞれの家庭で育ち、そのせいで随分と育ちも違う。

最大の被害者は子供本人だが、子供は偉大だ。
時間が解決してくれる。そう信じている。
一歩を踏み出すのに苦労しているのは大人である親達。
これも当然だろう。
自分に置き換えて考えても、…いや考えることすらできないし、そうなった時にどういう決断をするのか全くわからない。
そんなものだと思う。最終的にはこの親たちと同じように苦しみながら前へ進むしかないのだろうけど。
生まれてから6年間という貴重な時間。
気持ちに整理を付けられるわけがない。



この映画を見る前に、女房と娘は映画を見て父親像をどうこう話していたように思う。
ストーリーというか配役もわかっていただけに、女房と娘に「俺は父親としては福山みたいだろう?」と冗談半分で話をしていた。
二人はほぼ同じように「違う。リリー・フランキー!」と言っていた。
自分ではリリー・フランキーほど老けていないつもりだ。
もちろん福山雅治とは言わない。あんな男前ではない。
が、美化すればそっち系のタイプでリリー・フランキーのタイプではないと固く思っていたのだ。恥ずかしながら。

映画を見て、俺のことをリリー・フランキーに似ている。福山ではないと言い切ってくれた女房と娘に感謝したい。
それがたとえ髪の毛の乏しくなってきた感じや冴えない感じがそうだったとしても。
福山みたいな男前とはぜんぜん違うという意味だったとしても少し嬉しかった。

娘と息子、立った二人の子供のちっぽけな親にすぎないが、リリー・フランキーほど子供の視線で付き合う父親ではなかったが、一緒にはよく遊んだ。
そして子供ルールを作ってああしろ、こうしろといったこともなかった。
もちろん怒ったりはしょっちゅうあったが、あんな福山のような父親ではなかったと思う。

あの映画で福山雅治はヒールである。
憎たらしさをたった一人で受け止めていた。
ムカつくキャラクターである。
冗談交じりとはいえ、福山父が「ふたりとも引き取りたい」と申し出たシーンが有ったが、リリー・フランキー父が軽く怒ったシーンは印象的。
本当にサイテーな人間である。

あ、リリー・フランキーと言ってくれた女房と娘に感謝したいキモチに浸っていた時、女房が一言。

「あの役は福山だから見れたけど、他の男だったら、許せない」と
うーん、微妙な表現。
確かにムカつく役でムカつく俳優が演じていたら不快感で見ていられなかった。


前言撤回。
福山みたいだといいなあ。

やっぱり男前は得だ。

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