悪魔の尻尾

50代から60代へ~まだあきらめない

体制維新 大阪都 橋下徹 堺屋太一

年末の選挙で全国的にも話題になった大阪府知事大阪市長のダブル選挙。結果は御存知の通り、大阪維新の会である橋下氏と松井氏の圧勝であった。
この選挙において橋下氏を当選させないためのネガティブキャンペーンがマスコミを含めて大々的に行われたことは多くの方がわかることだと思う。大阪維新の会大阪都構想がうまくいくかどうかはわからない。だが、現状の市政、府政が良いわけではなく、変えないといけないと思っている人がほとんどだと思う。
ここでネガキャンに参加した人はおそらく、大阪市の公務員およびそれらと利権がらみの団体であることは想像に難くない。彼らも一応「改革」なんて言葉を使って努力しているフリはする。そう、フリである。だが、肝心の改革の要が自身の所属する組織そのものだとしたら、組織の一員である彼らがまともに改革できるのか?無理でしょうというわけだ。
この本に多くのことが述べられているが、実務レベルになるとこれどころではない気がする。この本には誰が悪いとか、そういう犯人探しの本ではない。前市長の(この時点では現市長)平松氏に対してさえ、それほど攻撃的には書かれていない。ハナから相手にしてないとも言える。橋下氏との対決から逃げまくっていた平松氏。仕方が無いのかもしれない。平松氏もアナウンサーとして活躍していた人であり、物事の道理のわからぬ人ではあるまい。本当のことは自覚していたのではないかとも思う。
橋下氏の政治の仕組み、行政の仕組みを変えようという話はわかりやすい。その上で、自分は仕組みを変えるために権力闘争=政治活動をするとしており、実際に政策実行は今の行政の仕組み、人間を使わないと無理だと心得ている。
この本にもよく出てくる民主党との対比。政治主導でという言葉。行政実務の素人集団が政治主導で行政そのもの=官僚に口出ししすぎてしまったため、機能不全に陥り、挙句の果てに丸投げしてしまうという状況。こういうやり方ではダメだと説いている。

大阪市の下にある行政区画である区。私は住吉区民だが、住吉区長のことは全く知らない。そりゃ当然だ。選挙で選んだこともないし、口調自らが区民に語りかける機会もないし。住吉区のページを見ても区長の名前はすぐに見つからない。いや、見つけられない。そういう組織だから自治ではない。大阪市の下の組織に過ぎず、全ては指示待ち?ということになる。そもそも住吉区長が住吉区の住人とも思えないし。公務員である区長が任期にすることというと、自分の立場で考えると当然事なかれ主義になる。当たり前だ。区長にまでなる人物なんだからここまで大きなミスなく年功を重ねてきたのだと思う。改革改革と口で入っても波風立てずに事なかれで終わるほうがいいに決まっている。その下で働く部下たちの公務員もみんなそうであろう。変革には大きなエネルギーが必要である。出来ればそのままのほうがいい。楽だし。身分は保証されているし。

そこをきっちり見切っているのが橋下氏であり、これはヤバいと既得権益者はあらゆる手を使って邪魔立てしてきた。橋下氏が長に立った以上は断固としてやり遂げて欲しいと思うのである。彼は長として「あれをやります、これをやります」ということを言っていない。それどころは住民に注文すらつけているところもある。
自身の言葉で語りかけ、対話すべきは対話する。しかし話しあっても拉致があかないときは断を下す。やってみてダメならまた考えなおしてやり直せばいい。その繰り返しであると…。顔が見えず、責任を取らない公務員にはできないことである。

役所の人間、公務員は所詮は道具。市民生活をサポートし、向上させるために存在する。彼らが政治に口出しするのはご法度であろう。もちろん公務員といえども一人の人間である。私人としてはいかなる政治信条も構わないが、公務にいるときにそういう活動は許されない。断固とした処置を望む。というか民間なら余裕でクビだろうけどね。

公務員というのが職務ではなく身分になってしまっているというのも何度か出ている。確かに身分である。選ばれた公務員ということで優れた人も多いとは思うが、そうでもない人も非常に多い。特に環境事業局、清掃車に乗っている方たちのガラの悪さには呆れる。彼らもどんな勤務ぶりでも首にならない。そうたかをくくっている所がある。どういう経緯で公務員になったのか出自を明らかにしてもらいたいものだ。

大阪府、とりわけ大阪市という小さな行政区画での改革となっているが、考え方は全国的にも通用するものだと思う。中央集権から地方分権へとうのは世界的に見てもその流れになっている。というか未だに中央集権でゴリゴリやっているのは日本だけ。時代遅れになってしまっているんだがな。

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